【短編小説】 その小説
コンタクトレンズを外すと目が軽くなる。
毎日眼球にべたりと張り付いているコンタクトレンズは黒目よりも大きくつくってあるからあたしの瞳を茶色く、潤んでるように見せる。
あたしの瞳の奥のなにかを、じょうずに隠してくれるのだと、言っていた。
彼女はベッドに入る前にコンタクトレンズをゴミ箱に捨てた。
*
僕はその日ある小説を読んでいた。そうしたら無性に性欲が掻き立てられた。昨日のこともあったし、僕が相手のことをよく知っていたり、相手が僕のことを知っていたりするわけではない人物、とにかく初対面の相手を抱く必要があった。
「僕が君を呼んだのはそういうわけなんだ」
僕は言った。その日読んでいた小説のタイトルを教えた。
「君はその小説を読んだことがある? その小説じゃなくても、同じ作者が書いている別の作品をこれまでに読んだことがある? 君のプロフィール欄に、読書が趣味だって書いてあった。それで僕は君に連絡をとってみたんだ」
君はその小説を読んだことがある。と言った。けれど読んでから数年経っていて細かい筋は憶えていないとのことだった。
「あたしにはよく理解できない作品だった。作者は女性だけれど、つねに男性優位の視点から物語は語られていく。気の利いたアイロニーだという感想も、Amazonのレビューにはあったけれど、あたしにはそうは思えない。あれはアイロニーではなく、作者は男性優位の視点から語られる物語にある種の居心地のよさのようなものを感じている。あたしはそのことについて好く理解することができなかった」
君は次の約束があるからと言ってドアを開けて出ていった。僕がひとりきりになる前、君は扉の前でハグしてくれようとした。申し訳ないけれど、僕は断った。
なにをするでもなく、ソファーに凭れていた。ベッドの脇のゴミ箱にその小説を捨てた。