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人が生き返るとき①

私がここまでやってこれた理由



プロローグ:

嫌なことも良いことも全てはいつかに繋がっていて、
今はまだ分かんない

今はまだ人生に遊ばれているみたいで、
まだまだ種を撒いている段階なだけなんだろうと思う

もしかしたら最初から決まっていたのかもしれないって思ってしまうことだってさえある

でも、
「結局は粋な計らいだな」って
何が起きても些細なことでは動揺しない、笑っておおらかに人生を眺められるそんなおじいちゃんが言うような意味もなんとなく分かってきた


「楽しんだもん勝ち」
「決めたもん勝ち」
それらの深い意味も分かってきたし、

『大丈夫だよ、安心して』
なんて容易く声を掛けては無責任だと思ったり、思われたりもしたと思うけど
(例えば、自分じゃなくて人の事だから容易くそんなこと言えるんだって人の言葉を素直に受け取れない)
今ではそれが真実の言葉なんだってことも分かってきた


本当に大丈夫なんだよな____

安心して自分がしたい様に決めてしまえばいいだけなんだよな____


それが伝えられる人間でいれたらいいな




前置きはこのくらいで、

私がリハビリに拘る理由です

リハビリテーションって「医療」とか「治療」とかなんか難しい言葉を使って表現されるんですけど

リハビリテーション医療は、基本的動作能力の回復等を目的とする理学療法や、応用的動作 能力、社会的適応能力の回復等を目的とした作業療法、言語聴覚能力の回復等を目的とした言 語聴覚療法等の治療法より構成され、いずれも実用的な日常生活における諸活動の実現を目的 として行われるものである。

厚生労働省


私が心惹かれるリハビリテーションの意味(自論)って一言で言えば
『可能性』とか『未来』なんです

今までに落っことしてきた自分というピースを拾い上げて、
その片鱗にニヤニヤしながら
まだ見ぬ未来に『成りたい自分』をイメージする
イメージしながらとことん自分の可能性を信じ広げていく
今できることからやっていく(現実に落とし込んで具体的に行動していく)

みたいな感じ

マクロをミクロに創造していく
人生ってアートのようにつくっていくものだと


「あれ?人生ってリハビリみたいじゃん!」

「リハビリ」って『人生の芸術』みたいだ、と



そんな自論のリハビリの定義と自身のリハビリの理想像が分かって

本気で体を治そうとしている患者さんに感化されて私も本気で努める
患者さんを通してお互いに自分を成長させよう、私はまだまだこんなもんじゃないんだとエンジンを再度ふかす、ギアチェンジするみたいなそんなパワーに包まれる空間だから心惹かれてしまったのです

お互いに本気だから生まれるパワー
だから私は絶対に応えたい

自分の可能性を信じている患者さんの理想を叶える(治せる)のが私の成りたいわたし

でも上記の人って多くはないんです
始めから「リハビリ頑張るぞー!」なんて方は

多くの人はまず『心の癒し』を求めている

「このまま治らなんだろうか?」
「ずっと調子が悪い」
「入院生活が飽き飽きする」とか、、、

これが現状です

だからこそ、リハビリがパワーに溢れる空間であることは嬉しいけど、
ただ必要だから運動をするとかではなくて
「心の休憩」や「心の回復」など『安心』が得られる空間でもあることも必要だと思ったのです

人間はそもそも再度やり直せる、再び立ち上がれる力をもっていることを知っているから
心が癒されてからリハビリに前向きになってもらうステップが誰にだって必要で
そういう段階にを踏んでいくように人生って設計されているって知っているから


知っているから、それを信じてリハビリがそういう場であってよいと思ったのです

「心」と「体」その両方が必要だと思ったのです

リハビリって「運動」とか「体」っていうイメージなのかもしれないけど

人ってそんなに単純じゃない

人生には、人の成長のステップには普遍的な階段があって、そのタイミングタイミングで必要な事、やるべきことがある

そのために「体」も「心」も、おまけに「頭」(考え方)も同時に見てあげていくことが必要で、本当の意味で自分も他人も大切にしてあげられる土台なんだ

そんな大事なことに気き、学べたのは私の人生の大きな収穫であって
私がここまでやってこれた理由であり、
これからの「未来への支え 」なのです

これからはそれを大きく発展させて人の助けに成りたい


私がお客さまの可能性を見抜いて信じ、お客さまの眠っている本当の理想を叶えられるのが私の成りたいわたし


そんな大事なことに導いてくれたきっかけも『患者さん』でした


次回に続きます


どうぞよろしくお願いいたします