40代最後の夏、不調が一気にやって来た。 すべてはホルモンのせい。 愚痴ったり、うじうじしてるのも疲れたので、記録していくことにした。 症状が出たのは、6月の終わり。 寝起きの目眩と嘔吐。小一時間トイレを往復したのち治まったので、なんだったんだ?と思いつつ、仕事は普通にできるし、まあいいやとほっとくことにした。 梅雨、低気圧、猛暑、ストレス、不調の原因となるもものは山盛りある。 まあ梅雨が開けたら良くなるだろうと軽く考えていたけど、目眩と倦怠感、のぼせや火照りが続く。左腕が
服はたくさんあるのに、着たい服が無い。 じゃあ、その服は要らないのか?すぐに捨てたり手離したり出来るのか?と言ったら出来ない。 服としては好きだが似合わないとか、高かったから、限定ものだからとか手放せない理由はある。 そもそも何かを身につけるのが好きではない。 アクセサリー使いが上手な人を見ると憧れるが、実際に持ってるアクセサリーはほとんどつけていない。 せっかく購入したスマートウォッチもほぼつけてない。運動記録としての機能が欲しい時だけつけるくらいだし、ランニングの記録と
休日は家から一歩も出たくない 一日中パジャマで過ごし、スマホとタブレットを交互にみながら、動画配信とKindleをたしなむ お腹が空いたら冷蔵庫を漁り、座っているのが怠いのですぐ横になり、眠くなったらそのまま寝る 出掛けるのが凄く億劫 顔を洗って、髪を整えて、服を選んで着替えて、もうそれだけで疲れる ゴロゴロしてたら、あっという間に終わる休日 それではイカン! ダメ人間ではないか? そして出掛けたのが東の都 『東京』 普段、自転車移動していると交通機関に疎くなる 初乗り
しっかり沈まないと浮かんでこれない。 逆に言えば、落ちるところまで落ちれば、あとは上がるしかない。底無し沼ではないのだ、ということ。 人間は、よくも悪くも慣れるし飽きる生き物らしい。 トラウマ治療も、逃げるのではなく飽きるまで向き合うことでしか克服は出来ないらしい。 逃げ続けても、結局は逃げることにも疲れて飽きるらしい。 いいかげん「かわいそうな自分」「惨めな自分」にメソメソしてるのにも飽きたんだろうな。 このモダモダしてる時間が無駄とは思わないけど、人生には限りがあるの
自分の心の奥のまっ更な部分にあるのは、一体どんなものなのだろう。 ピュアでキラキラした生まれたての生き物のような神聖なものなのだろうか。 それとも、どろどろとした禍々しいものだろうか。 心の奥を覗くのは怖い、覗かれるのも怖い。 心を丸裸にされるような居心地の悪さをどうにも出来ない。 親密な関係が深まると、普段は誰にも見せない弱さや情けない部分も見せられるようになってくる。 それは、相手に対する信頼があるから。 たくさんの試し行動をした結果、ここまでなら受け止めてくれるだろ
人生や経験を重ねて見えてくるもの、 どこまでが勝手な思い込みなのかわからないけれど、 物事には共通点があるし、原因があるから結果もある。 何でも一生懸命やる人は、仕事もできるし、お金も稼いでるし、パートナーのことも大事にする、人から信頼されるし必要とされる、だから人生で成功している。 多少の「出る杭は打たれる」は、当然ながらあるだろうし、妬まれたり疎まれたりもするだろうけど、そんなことは見事にスルーして、やるべき事に集中して、やっぱり一生懸命やってる。 つまらない見栄は張ら
女は欲張りなの。あれも欲しいし、これも欲しいし、ぜんぶ欲しいの。 かつて、自分がどんなに求めたものが得られなくても、愛する相手が幸せならば、それで十分だと思っていた時期があった。 しばらくはそれでよかった。 見返りを求めない献身的な自分に酔ってさえいたかもしれない。 だけどね、やっぱり辛いんです。 どんなに無償の愛を捧げているつもりでも、相手は何度もワタシを試すような行動をしてくるわけです。 信頼されてないんだな。 いつまで試されるんだろう? なにをすればいいのだろう?
普通に世間一般的な常識でみたら、困っている人に親切にするは当然の事だ。 それが親しい間柄の人物なら、損得勘定抜きで自然と行動するものだ。 怖いくらいに献身的に尽くす人。 その尽くす対象が病気の家族であったり、何か天才的な才能を持った人だったり、支えが必要な事が容易に納得出来る場合、割と美談のように扱われるが、果たして本当にそうなのか? 「この人、私が居ないとダメなんです」 そう言いながら、なんとも言えない恍惚の表情を浮かべるその人を見て、背筋が凍る恐怖を感じた。 よくあ
どうでもいいところに妙に拘る性格です。 特に、丁寧な生活に憧れが強く、有機野菜に凝ったり、土鍋でご飯炊いたり、天然酵母でパン焼いたり、ナチュラルクリーニングにハマったり、雑誌の中の素敵で丁寧な生活やインテリアを真似てみる。 まあ一通りの事はやったと思います。 そんな素敵な方々がおススメする、あらゆる雑貨や服、食材を買い漁り、部屋は物で溢れて片付かない。 買っただけで、袋に入ったままのものばかり。 ミニマリストの持ち物の少なさに驚愕し、憧れはするものの、捨てられない物たち。
素直になれない心や言動 なぜあの人は、あんなに天真爛漫で邪気がないのだろう? なぜそんなに屈託なく自分をさらけ出せるのだろう? ワタシとあの人の何が決定的に違うのだろう? 考えてる最中はまともな思考が出来ていない、当然ながら。 しかし、苦しいながらも都合のいい考えは湧いてくるもので、自分は何も悪くない、相手は恵まれた環境のお陰で、ああなれたのだと無理に納得する。 そして、ひとまず考えるのをやめてみる。 しばらくたって、忘れた頃に点と点が繋がる。 想像していた以上の「幸せ
自分への信頼。 結局、自分は何が欲しいのか? 欲しいと思っていたものを手に入れても、全く嬉しくないし幸せじゃない。 手にして気づくこの絶望感。 これに気づけただけでも儲け物なのだろうか? 性的な関係で得られる事。 自分に性的な魅力があると思える優越感。 尊厳や幸福感や快楽なんか気にもしていなかった。 自分を粗末にしつつも、それを求めてくる者を軽蔑さえしていた。 だから相手の本気度が上がってくると、気持ち悪くて仕方がない。 このBLの主人公は、自分をちっとも大事にしない。
最近、Kindle Unlimitedにハマり、読書の楽しみを再確認したのです。 自分の脳内で次々と起きる連想と妄想。 Amazon primeやNetflixなど映像で視聴できる娯楽も好きだけど、 Podcastやラジオの耳だけで楽しむでもいいんだけど、 紙や電子書籍での読書と頭の中の整理はやっぱり必要なんだよなと思う。 それは、疲弊しきっていない、ある程度の体力・気力がある状態でないと無理なのもよく分かった。 昭和感覚が抜けない価値観や思考に気づいたり、乗り越えたと思
ある人が言っていたけど、 部屋も生き物だなあと思う。 数日まったく外出せずに引きこもっていた部屋から、のっぴきならない理由で近所のコンビニまで出かけて部屋へ戻る。 時間にしてほんの15分程度。 あれ? なんかさっきまでの部屋と違う。 物の配置の何も変わってないけど何かが違う。
ミルクティ ミルクは先に入れるか後に入れるか? そもそもその選択が可能なのは、ティーポットに紅茶があり、ミルクはポットに入っていて、カップは空の状態である。 マグカップにティーバッグとお湯で作る紅茶では、どうしても後からミルクを足す事になる。 ポットでサーブ好きです。
パジャマ兼部屋着にちょうど良いのが無いなあ。 フリースとかボアとかじゃなくて、毛玉が出来にくい綿素材とかジャージとかが欲しいのよ。 部屋は寒いんだけど、布団に入って寝てる間にかなり暑くなってきて、寝るまでがパジャマだけだと寒いから寝つけないし。
どうしてそんなに他人の服装とか持ち物とか癖とか特技とかが気になるのか? 法や倫理にふれてない誰かをジャッジする権利なんて、日常生活に必要か?