向けられる愛情が怖い話

普通に世間一般的な常識でみたら、困っている人に親切にするは当然の事だ。
それが親しい間柄の人物なら、損得勘定抜きで自然と行動するものだ。

怖いくらいに献身的に尽くす人。
その尽くす対象が病気の家族であったり、何か天才的な才能を持った人だったり、支えが必要な事が容易に納得出来る場合、割と美談のように扱われるが、果たして本当にそうなのか?

「この人、私が居ないとダメなんです」

そう言いながら、なんとも言えない恍惚の表情を浮かべるその人を見て、背筋が凍る恐怖を感じた。
よくあるサイコホラーの共依存じゃないか?
世話をしているようで、支配している。
主従関係は、複雑だ。

自分を、親の愛情を満足に受けずに育った可哀想な子だとは思いたくない。
しかし、母親は常にワタシにはよそよそしかったし、可愛がってもらった記憶がない。
一番古い記憶は、3〜4歳の頃。
台風で暴風雨の中、古い日本家屋の祖父母の家は停電で暗いし、揺れるし、風や雨、稲光りと共に雷の音がうるさい。
家の中で、ひとりで留守番しているワタシ。
誰もいない薄暗い古い家。
どうしようもなく孤立していて、孤独。
心細くてなっても当然だろう。
あの時、幼い自分が何を考え、どんな気持ちでいたのかも覚えていない。
しばらくして、家族が一斉に帰宅。
ひとりで何事もなく過ごすワタシに母が放った言葉は
「あら、この子 泣いてないのね」
だった。
どういう意味だったのか、わからない。
ただ、母はワタシを「ほっといても大丈夫な存在」と思ったらしい事は後々知る。
そもそも、ワタシにそれほど関心が無いのだ。
そして、なんとなく大人を見透かすような目で見る冷めた無口な子どもなんて気持ち悪い。
熱を出しても、家にひとり寝ている。
ひとりが好きだったのか、誰かが近くにいる状態に慣れていないだけなのか?
今となっては、ひとりが好きだし、変に構って欲しくない。
話題の中心にされるのも嫌だ。
褒められても、貶されても居心地は悪いけど、関心を示される事が、なんか怖い。

別れたパートナーは、ヨーロピアンでレディーファーストが当たり前の紳士だった。
何故かワタシの事を気に入り、それはそれは大事に、まるで姫のように大切に扱われた。
実際にこんな事する人がいるのかと思うほどの徹底ぶりで、なんだか嬉しいのやら、恥ずかしいのやら、どうしていいのかわからない。
戸惑う気持ちを正直に話せたのは、彼が外国人だからなのかは、わからない。
ただ「そうされて然るべきだ。それに見合う価値がある」というような事を丁寧に説明してくれた。
だから、戸惑っても、怖くなっても、それは何もおかしい事じゃないから逃げないで欲しい。信じて受け入れて欲しい。
というような事を言っていた。
さすが異文化の人は、表現が上手いなと感心した。

幸せすぎると怖くなる
いつか終わりが来るのが怖いから、幸せの絶頂あたりで終わりにするか、死にたい

そんな話をした事がある。
ああ、その気持ちわかるよ。でもね、幸せは増えるものだから、これ以上ないというのを軽く超えてくるよ。苦しくて仕方がない事もあるけど、臆病にならないでね。

実際、ワタシは事あるごとに混乱し逃げようとした。

ワタシには、貴方は勿体無い

それは拒絶ではなくて、得体の知れないものを見なかった事にしたい。
こんな面倒臭いワタシも愛し受け入れられるのか?いやいや無理でしょ?いつか捨てられる恐怖に怯えるくらいなら、ここで捨ててくれと言わんばかりの我儘

離れてはヨリを戻すを繰り返す
これを何度も繰り返したのは、相手も同じような気持ちと戦った事があって、既に経験し乗り越えた事だから、よく知ってる理解出来る事だったからだ

いつのまにか、相手の期待に応えるように無理ばかりしてしまう
相手がガッカリしているのが分かるから

しかし、何に対してガッカリしていたのだろう?
期待通りにならなかった事?
相手が本来しなくてもいい無理をして、自分を大事にしていない事?

いつまで経ってもわからない


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