あのときの絶望の正体

自分の心の奥のまっ更な部分にあるのは、一体どんなものなのだろう。
ピュアでキラキラした生まれたての生き物のような神聖なものなのだろうか。
それとも、どろどろとした禍々しいものだろうか。

心の奥を覗くのは怖い、覗かれるのも怖い。
心を丸裸にされるような居心地の悪さをどうにも出来ない。

親密な関係が深まると、普段は誰にも見せない弱さや情けない部分も見せられるようになってくる。
それは、相手に対する信頼があるから。
たくさんの試し行動をした結果、ここまでなら受け止めてくれるだろうという境界がなんとなくつかめてくる。
つかめたような気になる、が正解かもしれない。
実際は、そんな境界なんて曖昧なもので、相手の体調や状況でいくらでも変わる。
自分だってそうだ。
普段は気にならない事が、妙にイラついて仕方がない時がある。なぜそんなにもイラつくのか、どうにも説明できないのだ。
信頼なんて、些細な事でうまれることもあれば、一瞬で脆く崩れ去る厄介なものでもある。
信じていたのに裏切られた。
信じたワタシがバカだった。
相手を責めるのか、自分を責めるのかどちらかだ。

食事を共にする、寝所を共にする、肌に触れる事を許す、一糸纏わぬ姿を見せる、粘膜への侵入を許す。
どれも信頼を重ねて積み重ねてきた行為。
特別な相手だからできた、特別な行為だった。
怖くてしかたのないことも、臆病になって逃げ出したい気持ちも、当然ある。でもそれでも形振り構ってられないくらい欲しいのだ。
それほどまでに求め、求められていると思っていた。
でも、形振り構わずに向かっていった先にあったのは、マトリョーシカのように終わりのない強固な壁だった。
やれることはすべてやった、全力でぶつかってもなお越えられない壁。
そしてその壁は自分のなかにもあって、相手には求めるくせに、自分はその壁を無意識に築き上げ続けていること。
いつまで経っても、心をゆるしてくれないと思っていたけれど、心をゆるしていないのは自分のほうだった。
その事実に絶望したのだ。
手におえないものに降伏するのではなく、求めても手に入らないと受け入れるでもなく、ただただもう無理だと諦めたのだ。
それは相手に対する絶望ではなく、自分の不甲斐なさに対する絶望。
こんな自分に寄り添って欲しいと思うのは、あまりにも図々しいお願いだし、付き合わされる相手が不憫で仕方がない。
表面上は相手を思いやっているようにみせて、守っているのはワタシ自身なのだ。浅ましい。

そして、この思考を整理するのに影響をうけたのが、哲学や心理学なのはもちろんだが、決定的な一撃を喰らったのが、あるBLなのだ。
あれをBLという括りにしていいのか疑問だが、BがLなBLのジャンルにカテゴリーされるのは間違いでもない。過激な性描写があれば官能なのかというと、そうでもない、といった感じだろうか。

本当に、生きることは途方もなくて、矛盾に満ちてる。
それでも人生は続いていくのだから、もがいて足掻いてみっともなくても、自分自身とつきあっていくしかないのだ。
絶望してるヒマなんてないんだ。

#絶望
#人生
#信頼
#自分自身
#それでも人生は続いていくのだから
#もがいて
#足掻いて
#BL
#絶望してるヒマなんてない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?