着たい服が無い、とは?

服はたくさんあるのに、着たい服が無い。
じゃあ、その服は要らないのか?すぐに捨てたり手離したり出来るのか?と言ったら出来ない。
服としては好きだが似合わないとか、高かったから、限定ものだからとか手放せない理由はある。

そもそも何かを身につけるのが好きではない。
アクセサリー使いが上手な人を見ると憧れるが、実際に持ってるアクセサリーはほとんどつけていない。
せっかく購入したスマートウォッチもほぼつけてない。運動記録としての機能が欲しい時だけつけるくらいだし、ランニングの記録というよりは万歩計のような感じだ。
服を着るのも寒いからだし、快適な温度にいて外敵もなく、肌を守る必要がなければ裸族で居たいくらいだ。
家の中で裸族で過ごしていると、出掛ける時に服を選んで着るのが面倒くさい。
なので、外に出たがらない、休日はほぼ引きこもっている。

コロナが流行ってからは特にそうだ。
外に出るイコール汚染されるイメージが強くなった。
外出したら、すぐに服を脱いでお風呂に入るがルーティンになってしまったので、更に出掛けるのが面倒くさい事に思えた。

とはいえ、ちょっと外に出て日光を浴びて、散歩中のイヌにあったり、素敵な服装のおしゃれな人々を見るのも好きだ。

面倒くさいを言い訳に、何もしたくないだけなんじゃない?

最近は服を選んで着るのがストレスにならないように、数着で着回すスタイルに変えた。
所謂、普段着を制服化してみた。
同じ服を何着も持って、いつも同じ服装だけど着替えはちゃんとしてるというのは、退屈に思えたので。
あえて決めなくても、よく来てる服は結局決まっていて、たくさん服を持っていても着まわしやすいのは決まってくる。
自転車に乗るから、裾の巻き込みが嫌だからワイドパンツは選ばないし、バッグもリュック中心だからシワになりにくいものがいいし。機能性が高くておしゃれにも見えるものって限られてくる。
常にジャージで過ごしてもいいのかもしれない。
実際、スポーツ選手とかジャージでいる時が一番かっこよく見えるんだよなぁ。
ユニフォームでもなく、私服でもなく、イベントにオシャレして出てる時でもなく、練習帰りくらいが一番素敵に見えてしまう。
何を着るかではなく佇まいが素敵なのだ。

という事は、
取り組むべき課題は、服に振り回されるんじゃなくて、姿勢や佇まいを磨くって事だな。
着てるものは不潔や不快でなければそれでいい。
値段はあんまり関係ない。
こんな格好じゃ見っともないとか、見栄が出ちゃうと拗れてしまう。

ただ、見たり着たりして「気分がアガる服」はあるからそれはそれで大事にしたいんだよねえ。
奥深い服飾の世界。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?