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ひっくり返った虫

先日、街中を歩いていた時に出会った虫の事について。

正解の無い出来事と暮らしている私たちの「何気ない日常」について、今回はお話ししたいと思います。

最後は我が家に出入りしている数々の生き物のことについても触れています。


虫がいた

つい先日、街中を歩いていると地面に一匹の虫がいることに気がつきました。

虫の品種はわからないのですが、グリーンがベースの玉虫系でした。

すると突然、その虫がひっくり返ってしまい手足をバタバタさせはじめたのです。

「あ、裏返っちゃった。起こしてあげないと」。と思ったのと同時にふと、
起こすのを手伝うべきかどうかということについて考えました。


考える

虫一匹がひっくり返ってしまったからといって、私には関係が無いと思うべきなのか、手を貸すべきなのか。

5分ほど悩みながら虫を見ていると、バタバタさせた手足をどういう風に使ったのかはわかりませんが、何とか起き上がって草むらの方へ歩いて行きました。

その時にちょっと今の考え深いなと思ったわけです。


すぐに助けなかった理由

“私には関係が無いと思うべきなのか、手を貸すべきなのか”悩み、すぐに助けなかった理由として、
ひっくり返っただけで生涯を終えてしまうわけはないはずだと思ったのです。

ひっくり返っただけでどうすることもできず死んでしまうようであれば、この虫はもっと古くの時代に絶滅している可能性が高い。

手足が短い品種の虫に限らず、動物は日常的にひっくり返ってしまうことなど度々あるはずです。
人間も同じで、大きな失敗に限らず小さな失敗も繰り返しながら生活しています。

今後同じようにひっくり返ったら、またどうにかして自ら起き上がらなければならない。


これって、大きなお世話?

今回は虫に対して「助ける」という意識を持ちましたが、虫でも「放っておいてくれ」「助けて」と思うことはあるのだろうか?

人間は「助け合って生きていきましょう」。と先代から成長過程で教えられているので、つい困っている生き物がいれば助けなければと思いがちです。

まとめると
人間とは異なる生き物でも、助けを必要とすることはあるのだろうか。また、助けようという気持ちを持つことはあるのだろうか。ということについて考えた、というお話でした。

今回は虫に対して疑問を持ったままこの話は終わります。

一応、虫がクルンと表を向いて草むらに歩いていくまでに5分ほど見守ったので、すぐには助けず一定の時間が経ったら手を貸そうかなという考えで今はいます。


ちなみに

私がなぜ虫一匹に対してこのような考えを持ってしまったのかということについても考えてみたのですが、父親の影響が大きいかもしれません。

私の父親は小さな虫一匹でも殺しません。家の中で虫を見つけたら器に入れて外へ逃がすので、私も無意識に昔からそうしてきました。
これを生類憐れみの令と言います。(※指示は出されていない)

ですが父親の生き物への愛はこんなものでは済みません。
職場に迷い込んだ蛇を手懐け、溝に嵌まって動けない鷲を布で包み外へ促し、お店に迷い込んだ巨大な蜂を布越しに手で掴んで外へ逃がしたりしています。

※一応伝えておきますが、父親はム〇ゴロウという名前ではありません。

やはり生き物は、転けたり、道に迷うことで危険や安全性を学習しながら生活しているのだ。と思ったのと同時に困ったこともあります。

生き物の間で“この家なら失敗しても大丈夫である”と判断しているのかは知りませんが、
我が家には様々な生き物が寄り付き困っています。
(住んでいる土地はどちらかというと住宅街です)。

例えば庭に出ると見知らぬ犬や猫が寛いでいる場面によく遭遇します。
冬になるとイタチが車の中で寛いでいるのではないかとの話も。
やがて夏が近づくと蜂が屋根下に巣をつくりはじめ、スズメが窓際にやってきます。

これくらいならまだいいのですが、蛇が玄関に出た時はまだ自分でうまく対処ができないという悩みを抱えています。
母親が家の中でカエルを見つけると絶叫しながら外へ退治している姿も見かけます。

いつの間に我が家はこんなジャングルになってしまったのだろう...。




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