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サイコパス社長に出会い、逃げるまでの100日間の話【第三章】

第一章〜最終章まで一覧⇒ サイコパス社長に出会い、逃げるまでの100日間の話

障がいがあることを疑う

仕事を始めて二か月が経とうとしていた。
辞めることを全力で止められた友達も私も、まだ仕事は続いていた。

明け方まで仕事をすることについて社長に断りを入れると、夜間は何をしているのかと深く問い詰められ、何度も電話がかかってきた。

通話越しに上手くあしらえるようになったのかというと、まったくもって変わらずあしらえない。

毎日辞めたいとしか思えず、理不尽な事について私も社長に言い返すようになっていた。
人は大切な相手には言葉を選ぶ。
でも正直なところ、この人は私にとって大切な相手などではないと思った。


ずっと気になっていたことがある。

「この人、脳に何らかの障がいがあるのでは?」と。

「あの障がいではないか?」と決めつけるのもどうかと思うが、この社長とはあまりにも通常の会話が成り立たない。すぐに感情的になり、会話の出口が見つからない。

数年前に友達と話したことがある、アスペルガーやADHDといった発達障害などを疑ったが、どうやらこれらは当て嵌まりそうにない。

明け方3時まで仕事をし、その後風呂に入り、荒れた1日の片付けをすると明け方4時に寝ることになる。朝8時には起きなければならない。

言い訳にしかならないが、この生活の中で私は発達障がいや心理学の勉強まではこなせなかった。
職場まで足を運ぶ労力も無しに、自宅で仕事を済ませられる環境で何泣き言を言っているのだと、世間では思われるであろう。


11日間の出張

ある日「社長から二人で話し合いをするようにと言われた」と、友達からファミレスに呼び出された。

「競技撮影の仕事があるから、A県の出張について来ないかと社長が言っている」とのことだった。

そもそも、出張はしなくても良いという承諾を得てこの仕事を始めたはずだったのに、また意思が変えられている。
私はこの仕事を断った。何が何でも断った。11日間もあの社長と過ごすだなんて考えたくない。


しかし、8月になり私はA県にいた。
※Aは実在する都道府県の頭文字とは無関係です

「あの子はこう言っていたよ?」「だから君はもう来なくて大丈夫」「お願い!4日間だけ!あとは途中で帰っていいから」という流れで、私と友達は裏でうまく話を操られていた。
話のどこかで嘘をつかれていたようだ。

私と友達は出発直前のギリギリになり話が操られていたことを知り、唖然とした。
いつの間にか私、男性社員1名、社長の3人のみでA県に行くことになってしまっていたのである。

私は出張先で1~2日経った時点で体調不良を申し出て逃げ帰ることを計画していたが、現地で某放送局の人から「この試合で東京オリンピック2020の云々が決まる」という話を聞いた。
交代者のいない仕事を振られてしまっていたため、逃げられないことを悟った。

あまりにも縛られた生活を送る中ですっかり忘れかけていたが、私はフリーランスである。
運悪く現地に連れて来られたからといって決まった仕事に穴をあけると、損害賠償請求を受ける可能性がある。
その上、来てしまった以上はやはり仕事から逃げることなんてできなかった。

取引先の相手と関わっている時の社長は人が変わったようだった。

ペコペコと頭を下げ、オーバーリアクションで愛想良く振舞っていた。
このような、人間に対しニコニコした姿を見るのは初めて事務所で会話をした時以来であったかもしれない。

11日間、社長に時間を縛られる生活は続いた。
夜、仕事が終わってホテルの部屋に戻ったらすぐにドアを叩きに来る。
仕事以外のプライベートの時間もあると聞いていたが
僕と過ごす時間がプライベートでしょ?」と、頭が痛くなる事を言われた。

もう一人いる男性社員に対し「男性であるから会話は弾まない」などと裏で言い、やはり私は明け方まで外食と会話に付き合わされることになってしまった。

この出張で知ったのだが男性社員の彼も口下手なようだった。
失礼な話だとは思うけれど、私と彼、どちらが社長の話し相手になっても会話が弾まないことは予測できた。


私が社長と11日間話した内容についてだが、ほとんど覚えていない。

まず、この社長は家族や友達といった人間の話を自ら好んでしない。
例えば、取引先のカメラマンは
「撮影続きであまり家に帰らないと、嫁にも怒られるかな~と思って、たまに時間をつくって家に帰るようにしているんです。帰宅すると娘には鬱陶しそうにされますよ!」笑。
などと話すから、性格や家族のイメージがだいたい掴めるのはわかる。

しかし、「あなたのご家族はどうですか。一か月のうち、半分ほど家を空けることも多いのでしょう。嫁さんは怒ったりしませんか?」と話を振られると社長は「特に...」。などと適当に返事を濁し、すぐに別の話を始めた。

自分の周囲の人間関係のことについて話すことはほとんど無く、疑問文を繰り返していた。聞き上手というよりは相手に話をさせることで、毎回逃げているように見えた。

話のネタとなるものが一切無い上に、ちょっとしたことでもすぐにキレ出すので私はこの人と会話をする度にどんな内容を話すべきか悩んでしまっていた。
「会話ができていない。こんなんじゃ社会ではうまくやっていけないよ?いいかげんにしろよ!沈黙するな!」と外食先の飲食店でもご飯を食べながら怒られる。
どんな話をすべきか聞いてみたが自分で考えろ、とのこと。
悪循環だ。

口下手な私でも、男性社員、取引先の人とはそれとなく会話ができていた。でもこの人とだけは会話が成り立たなかった。


11日間の中で最も心が折れたのが最終日であった。

思うような返答が得られないと、この人は怒り出す。責め立てる。
社長と2人になった車内で
「僕の運転のことについてどう思う?あの〇〇くん(男性社員)と比較して、どう?」という返答に対し
「とても上手だと思います。社長の方が安定していて...」などと立てていたつもりだったが、思うような返事が得られなかったようでまた怒鳴り始めた。車の中で怒鳴ると、こんなにも声が響くのかということを生まれて初めて知った。

私は一切希望していなかった出張までして1時間ほど車内で怒鳴られ続け、こんなところで何をしているのだろうと、最終日にきてふと我に返りそうになった。
窓の外に目を遣ると、私の悲しみなどとは比にならないような世界遺産が見えた。

目の前にある遺産と比較すると、私のツラさなど本当に大したものではない。
日本人は、ツラいことから耐え抜いて国を再生してきたのだ。

胸がギュッと痛くなったが、耐える。
とにかく会話がうまくできない自分を責めた。




続き ⇒ サイコパス社長に出会い、逃げるまでの100日間の話【第四章】


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