このnoteを開いていただきありがとうございます。
留学から100日以上が経って、文字通り「久しぶり」に連絡をとる日本の友達が時期に応じて何人か出てきました。
そこで何人かの人から「変わったね」という言葉を言われました。
その「変わったね」という言葉に僕は違和感を覚えました。
今回はその違和感についての深掘りを書き殴る記事にさせていただこうかなと思っています。
自分としては当然ですが、どこかのタイミングでガラッと人柄が変わることはないので、変化したとは思わないわけです。ただ期間を空けて自分に会った人は、自分の過去と現在が比較できてしまうので、そこに乖離があれば「変わった」と僕は言われてしまうことになります。
「変わった」だけであればそれはポジティブな意味での変化、言い換えると進化になると思っているので気にしていません。ただ僕がアメリカに来てから日本の友達に言われる変化は「迷走」と捉えられることが多くあります。
結局人間は周りの環境に合わせて生活をしているので、自分の周りの普通が自分の「普通」になるわけです。
なのでアメリカで過ごしていて周りが何も思わないこと、すなわち「普通」なことをした時に、それが日本の環境における「普通」に当てはまらなければ、それは「迷走」と捉えられてしまうことがあるのだと思います。
とりわけ、アメリカと日本では文化の違いがかなりあるので、「普通」の捉え方に大きな違いがあり、留学先での「普通」が日本においては異端児的な扱いになってしまうのかなと思いました。
日本と海外という違いに限らずとも、環境が変わった時には少なからずこういった感覚を覚えてしまうのかなとも感じます。
これが良いのか悪いのかについてはまた、別の記事で書いていこうかなと思います。
(とりあえず現時点で自分の中での「迷走」がこれで文言化できた気がします😅)
今回の記事は目的なくひたすら書き殴るだけのものだったので、自分の感情ベースでひたすら書いたメモのようなものになりましたが、ここまで読んで下さった方々本当にありがとうございました。
これからもお付き合いいただけますと幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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