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東日本大震災の語りべの話を聞いて(小説)

私は東日本大震災の語りべの話を聞いた。
その語りべは、現在30~40程度に見えた。
語りべの名は高橋というようだった。
その青年は、生まれてから20日後に起きた宮城県沖地震で、
「タンスの下敷きになった。」
そう私たちに伝えた。
なぜ生きているのか、真面目なクラスメイトが尋ねた。
下敷きになったのは嘘だと、少し微笑みながら語りべは言った。
地震の10分前に彼が泣き始め、祖母に抱かれたことで助かったようだ。
私たちを脅したかっただけか…
私は知人と話していると、語りべはこちらを見ながら、
「地震をなめちゃいけない」
まだ何を言っているのかわからなかった。

その語りべは、ある映像を見せた。
東北地方太平洋沖地震の際に撮った実際の映像だ。
ニュースでも見たことのあるような写真から、見たことのない。
被災者の泣いている、ありがとうがとびかっった映像がそこにはあった。
映像は7分間に及び、自然と涙が流れてくるような内容だった。

津波は1分間で石巻の沖に押し寄せてきて、およそ1分半で人々の
住み家に到達してきた。
最初は10cmの波だった。この波だけでも立っているのが精一杯のようだ。
30cmになると、人は立っているのが不可能に近くなるようだ。
波の中は、私たちの知る青い海ではなく、濁った。汚い。
とても夏の醍醐味の海と同じとは思えない波だった。
50cmにもなると、自動車が波によって運ばれる水圧がある。
当時の写真がこちらだ。

この波はすでに2mは行っているが、
これになるのには1分半で上がってくる。
1分半でここまで上がってくるのだ。迷っている余裕などない。
10分後には最高到達点に上り詰めた。
石巻市の津波の最高は、40mだ。
私たちは体育館で話しを聴いていた。この体育館の4倍の大きさの建物が
私たちの生活していた土地を荒らしていった。

ここからは、震災から3日後の語りべの話を紹介する。
震災から三日後、語りべはボランティアとして活動していた。
断層ばかりの石巻市。
海から挙げられた数々の泥が、自動車の通行を不可能にする。
ヘリや簡易ボートでしか物資を供給できなかったようだ。
約300人のいる避難所にあった3トンの非常食は、
わずか3日でなくなったらしい。
非常食は、一家に3日分は用意しといた方がいいらしいのは、
最初の3日がきついからだと言われた。
物資は、様々な場所から送られてきた。
語りべは、被災地と供給してくれる場所との関係者をしていたようなことを言っていた。
そこでの被災者は何度も何度も「ありがとう」
「ありがとう」  「ありがとう」
と言っていた。

被災者の心の内を紹介する。

まず紹介するのは、5歳の少女の話だ。
5歳の少女は両親を津波によって失ってから、食欲がなかったようだ。
祖母は近くに住んでおらず、ボランティアによるお世話をしていた。
東北から抜け出せる目途が立っていなかったので、
いつになったら少女を安心させてあげられるのか
頭を悩ませていた。
日に日に細々となっているたった5歳の少女。
精神的ストレスと、空腹。
何かを食べても、すぐに吐いてしまう。
もう既に言葉を理解できる5歳だ。
強くもなく、精神がないわけでもない歳。
その少女は、およそ10日間の空腹と精神的ストレスにより、
両親と同じところへ逝ってしまった。

次に50歳の男性の話だ。
彼は奥さんと、沿岸部へ30歳の時に引っ越してきたようだ。
津波によって最初に被害を受ける沿岸部の家は、
生活の片鱗も見せないような荒れ果てた様子だった。
その時の写真は、こちらまで心拍数が上がってくる写真だった。
その男性も、長年付き添ってきた奥さんを失い、
精神的障害が何日か続いていた。
生活が安定してきた。
と言っても、食料が困らなくなってきた頃だ。
ボランティアによる炊き出しで、その男性も涙を流していた。

その男性が、ある日上着のポケットからカギをとりだした。
何ですか?そのカギ。落ちてたんですか?
語りべは少しの気の緩みで、冗談を言ってしまったらしい。
その男性は少し真剣な顔になってから。
そのカギを回した。
落とし物だと思うよなー
もう、この鍵を使う家もないのに大切に持ってんだ…」
語りべはハッとした。
ここで冗談はダメだ。
冗談だと思って話したことは、全てほんとになるんだ。
深々と男性に頭を下げ、何も言わなかった。
というより、言えなかった。

語りべは地震によって家を失った。
だがそれ以上に失った人はたくさんいる。
災害を防ぐために、被災グッツを用意するんじゃない。
3日分の食料。
避難所では、窃盗や強姦。
いろんな危険なことが起こる。
それは人々が安心しきれていない時に起こる、
ヒステリック的行動の一つだそうだ。
その行動が落ち着き、食料の供給が安定するのが3日後だと言っていた。
その3日間をどうやって生き残るか、3日だけは一人で生き残れる
用具を持ち合わせる。

語りべの話は私たちに大きな印象を与えた。
明日は鎮魂式がある。
黙祷しながら、この話を思い出してほしい。

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