見出し画像

赤ちゃんのおしっこも、詩になる。千家元麿の詩から見える愛のかたち

詩のソムリエが子育てのなかで考えた、詩のはなしをちょこっと。赤ちゃんのお世話のひとつ、「おむつ替え」にまつわる詩を紹介します。家族のことを愛おしんで詩にした千家元麿(せんげ・もとまろ)の「小景」という詩です。

男の子のママになる準備

子が生まれる3ヶ月ほど前。夫とパパママ学級(子をもうすぐ迎える夫婦のための講習会)に参加した。リアルな赤ちゃん人形を使い、着替えや沐浴(湯浴み)のやりかたを学ぶのだ。子育て支援センターに8組ほどのプレパパ・プレママが集まり、フレッシュな緊張感のなかで講習ははじまった。
・・・
はじめてのお世話。なかでも、沐浴が一番難しそうだった。なんせふにゃふにゃと首が座っていない赤ちゃんなのだ。沈めたり、落っことしたりしないだろうか。新しい肌着やタオルなどを用意しておいて、服とおむつを脱がせ、風呂桶に赤ちゃん人形(3キロ)を片手でお湯にひたす。もう片方の手で、ソープをプッシュして(ポンプ式のソープがない時代はどうしていたのだろう)、顔や体をやさしく洗う。さっと体を拭いて保湿クリームをぬって、おむつ。

わたしが慣れない手つきで人形におむつを履かせようと奮闘している時、「お風呂上がりに気持ちよくておしっこしちゃう子も多いんですよ〜」小柄な助産師さんは、(困りますよね)というのと(かわいいですよね)が混ざった顔で笑いかけたが、経験がないので「はぁ」と曖昧に微笑み返した。おむつを替える時におしっこが出ちゃったら、さぞアタフタしたり洗い物が増えたりするのであろう…というくらいしか想像できなかった。

その日のパパママ学級には、わたしたち夫婦を含め男の子の親になる人たちがたまたま多く、実習のあとも「おちんちんのケアは」「おしっこキャップは必要なのか」等の質問が飛んだ。わたしは知らなかったが、どうやら「おしっこキャップ」なるものが販売されているらしい。おむつ交換やお風呂上がりのタイミングでおしっこがスプラッシュしないように防ぐ三角型のキャップだそう。助産師さんは、「必要なら買えばいいです」と答えていた。どうやら、男の子というのはそういう生き物らしいぞ…?おしっこをひっかけられる覚悟もして、出産に臨んだ。

はじめての"おしっこスプラッシュ"

そしてその時は訪れた。まだ新生児だったときのこと。夜、おむつを替えようとして、息子がピャーッとおしっこをした。
その瞬間。
わたしはなんと、「かわいい〜」と笑っちゃったのである。こんな状況で笑うなんて、自分でもビックリだった。もちろんわたしの手やシーツや新しいおむつは濡れてしまった。いまから手洗いして洗濯機を回さないといけない。細切れ睡眠しかとれていないのに、追い打ちをかけるハプニング…なんだけど、なんだけど、「かわいい」と思うなんて、脳みそがバグを起こしているのか?実は産むまで、子どもを愛せるか心配だったクチなのだけど…まさかまさか、おしっこまで「かわいい」とは??

おしっこだけではない。存外りっぱなおならも、うんちも、かわいいのだ。えらい、すごすぎる…!とほれぼれしてしまう。産後ハイではなく、産んで1年経とうとしている今も、である。子育ては、ふしぎだ。知らなかった扉がどんどんひらかれていく。

赤ん坊のいる風景

ところで、千家元麿せんげもとまろという人が、「小景」というタイトルでこんな詩を書いている。

「小景」

冬が來た
夜は冷える
けれども星は毎晩キラ/\輝く
赤ん坊にしつこをさせる御母さんが
戸を明ければ
爽やかに冷たい空氣が
サツと家の内に流れこみ
海の上で眼がさめたやう
大洋のやうな夜の上には
星がキラ/\
赤ん坊はぬくとい
股引のまゝで
圓い足を空に向けて
御母さまの腕の上に
すつぽりはまつて
しつこする。

千家元麿『自分は見た』

冬の夜の爽やかに冷たい空気、さえざえと輝く星、そして赤ん坊の体温…コントラストが鮮やかな詩だ。「ぬくとい」「圓い足」「すつぽりはまつて」など、赤ちゃんならではの愛らしさが生き生きと描写されている。あたたかなおしっこが弧を描きながら冬の庭に放たれるところまで見えるようだ。タイトルの「小景」とは、印象に残ったちょっとした景色、という意味。

赤ちゃんが、おしっこをする。そんな日常のひとこまが、詩になることに、千家元麿の愛のかたちを見る気がする。独身の時にこれを読んでもピンと来なかったけど、産んでみると、この空気、この重さ、ぬくもり、シーンの切り取り方…すべてに実感が持てて「いい詩だなぁ」と思うようになった。子どもが大きくなった頃に読み返したら、泣いちゃうかもしれない。

・・・
千家元麿というひとは、出雲大社の宮司を務める父の、いわゆる庶子(本妻以外の女性から生まれた子)である。反抗して父から離れ、反対を押し切って結婚し、子どもをもうけた。そして自分で作り上げた貧乏ながら楽しい暮らしを愛おしみ、詩にした。父に対して、複雑な思いがあっただろうか。でも、この詩がおさめられている詩集『自分は見た』は、「父に捧ぐ詩集」とある。自分も父になって、父のことがわかるようになったのかもしれない。父(あるいは母)とは、子どものおしっこに喜び、愛おしむ、ふしぎでおかしな生きものであるということを…。

これまでの「こどもと詩」シリーズ

① 詩のソムリエ、母になる (新川和江「赤ちゃんに寄す」)
② 鯉のぼりの、その先(まど・みちお「うさぎ」)
③ 生まれたての君(ウィリアム・ブレイク「行きて愛せ」)
④ 世界に用意された椅子(新川和江「わたしを束ねないで」)
⑤ 淋しいという字(寺山修司「Diamond ダイヤモンド」)
⑥ 詩のソムリエと子守唄(北原白秋「揺籃のうた」)
⑦ 出産の勇気をくれた歌(阿木津英「産むならば世界を産めよ」)
⑧ 思わず涙ぐんだ、「人生が1時間だとしたら」(高階杞一「人生が1時間だとしたら」)
⑨ 泣き声は近所迷惑?山村暮鳥の詩を読んでみよう(山村暮鳥「こども」)
⑩ ドキドキの赤ちゃん連れ乗車。まど・みちおの「おみやげ」を携えて行こう。 (まど・みちお「おみやげ」)

お知らせ:公式LINEやっています

noteの更新やイベントのお知らせをお届けします。ぜひ友だち追加していただけるとうれしいです!

今日もすてきな一日になりますように。
詩のソムリエ Twitter  公式HP


この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

子どもの成長記録

そのお気持ちだけでもほんとうに飛び上がりたいほどうれしいです!サポートいただけましたら、食材費や詩を旅するプロジェクトに使わせていただきたいと思います。どんな詩を読みたいかお知らせいただければ詩をセレクトします☺️