淋しいという字/寺山修司「Diamond ダイヤモンド」(こどもと詩⑤)
"淋しいという字をじっと見ていると
二本の木が
なぜ涙ぐんでいるのか
よくわかる
ほんとに愛しはじめたときにだけ
淋しさが訪れるのです"
(寺山修司「Diamond ダイヤモンド」より一部抜粋)
自分の時間、皆無です
「身軽」だった、と心底思う。こどもを産む前は。
ガイドブックも持たず海外をひとり旅したり、「遊びにきませんか」と言われれば日本中どこにでも出向いたり。最近の言葉でいう「フッ軽(フットワークが軽い)」である。
そんな時代が、時々恋しくなる。いや、まず自分の時間が欲しい。子が生まれてからというもの、授乳してあやして寝かせて、子が寝たら横になり少しでも体力を回復させる…という昼も夜もない生活をしていた。つらつらと寝ても、子が「フスッ」「エッ」とか発するたびにビクッと目がさめるし、新生児という儚い生き物を守る緊張感から、入眠時ミオクローヌス(まぶたの痙攣)になり…と、ほぼ休めていなかった。
安産とはいえ、傷の痛みも抱えたボロボロの体で突入する子育て。こんなに過酷なの…?人類、よくこれで繁栄できたな…??
24時間お世話マシーンと化したわたし。「最低限の文化的生活」とは、産後の人間には縁遠い言葉である。
産後ケアへGO!
そんなとき、産前からあたためておいた手札がある。それは「産後ケア」。産後ケアとは、助産院などの施設で母体を休めること。助産師さんが子の世話をしてくれるので授乳以外※は休めるし、ごはんも出てくる。
産後ケアを利用するため、産前に市役所で面倒な手続きをすませておいた。市によって助成額は異なり、わが市の場合は1泊2日で18000円。安くはないが、睡眠が確保できるのであれば…!産後ボケの頭でなんとかオムツやら洗面道具やらをパッキングし、子を連れて予約したレディースクリニックへ向かった。
一応、読みたい本もスーツケースにイン。
3時間たって「さみしい」
レディースクリニックに到着すると、すぐに個室に案内され、持参したパジャマに着替えた。出産した大学病院ではカーテンで仕切られた3人部屋だったので、産院の個室ははじめて。こじんまりしているけど、机やソファもある。「ほぉ、ビジネスホテルみたいだなぁ」とキョロキョロ。
子は「じゃ、授乳以外は預かるね〜!」と助産師さんにコット(キャリー付きベッド)に乗せられ、ドナドナと連れて行かれた。子はしおしおっとしょぼくれた顔をしていた。
ポツンと部屋に残され、「い、いいの?」と若干戸惑いつつ、すぐにベッドで眠ってしまった。「子がいつ泣くか」ということにビクビクしない分、ぐっすりと眠れた。妊娠後期は逆流性食道炎と股関節の痛みで眠れなかったから、こんなに深く眠れたのはいつぶりだろう…。しみじみ。
しかし、である。
なんと、たった3時間でさみしくなった。個室で一人思う存分寝て、本を読んで、ご飯を食べて。「自分の時間」がないと辛いタイプだったのに、そしてやっとのこと手に入れた自由時間なのに、こんなにさみしいなんて…???
「淋しい」という字を見つめる
ベッドの上で、ふとよぎったのが、寺山修司の「Diamond ダイヤモンド」という詩だ。
「木という字を一つ書きました」からはじまるこの詩。「一本じゃかわいそうだから」こんどは木をもう一本並べて「林」という字に。
この詩集を買った高1のとき、ぐっと心をつかまれた詩。恋愛の詩だと思っていたけれど、子を持った今、また胸に迫るものがある。
さて、「淋しい」という字。一般に当てられる「寂しい」とのちがいはなんだろう。
「寂しい」は、さびしいと思わせるような「状況」を表している。(例:静寂 寂寥)
一方で、「淋しい」とは心細くて涙が流れるような「心情」を指しており、恋しい人の存在が前提にある。
涙ぐんでいるというのは、さんずいから得た着想で、字そのものに深い関心のあった寺山らしいエスプリのきいた詩。人を想って流す涙はダイヤモンドなのだ。
子を見つめていると、「ひとりの人間をこの世に誕生させた」ということの重大さを思う。それは自分の死後も生き続ける木を植えるようなものだ。そういえば、「根をどっしりと張って、すくすくと枝を伸ばし続けるように」と、息子の名前には「樹」の字を入れた。
木と木が向かいあう「林」という字に、そして木が涙ぐむ「淋しい」という字に、いまは愛し合う男女ではなくわたしと子を重ねる。詩人・寺山修司は、男女より親子の愛憎を戯曲や映画のテーマにしてきた人でもあった(執拗なまでに)。
一ヶ月くらいひとりでプラプラしたいと焦がれていたけど、たぶん1日ともたずにわが子に会いたくなるだろう。わたしたちは木々のように向かい合って、見つめ合ったり淋しくなったりして過ごす。あっという間に大きくなって、親の手をふりほどくまでは。
淋しがる親子
夕方17時。
帰り支度をしてナースコールすると、泣き止まない息子を助産師さんが連れてきた。わたしが笑いながら抱き上げると、スン…と泣きやんだ。赤ちゃんが泣くのは、基本的にお腹が空いている、オムツが不快など生理的欲求にもとづく。だけど、そうでなくとも泣くときがある。生後まもない息子も、「淋しい」という気持ちをもう感じているらしいのである。「抱っこしてほしかったのね〜」と言いながら、やわらかい頬にスリスリする。目に涙を浮かべたまま、しょんぼりとしている顔がたまらなく愛おしい。
産後ケアを利用した一泊二日は、とても長く感じた。帰りがけ、「またどうぞ」と言ってくださる助産師さんたちに笑顔で会釈しながら、子どもと一緒にいられることになんだかホッとした。
余談だが、持参した『高村光太郎詩集』は魂が高密度で凝縮されたような純度のきわめて高い詩集なので、ベッドでごろ寝しながら読む本ではなかった。同じパッションで向き合える精神状態でないときつい本かもしれない。
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