見出し画像

耳元に在る温度

例えば本当に気が合い想い合える人と安心した時間を過ごしたことが一度でもあれば、そうでないものに出会ったときに、これはちがうと気づくことができるのとおんなじで、私にとっては子どもの頃に野の花を眺めていた時間や鉱物にワクワクした気持ちを思い出せるのが耳飾りを作ったり愛でている時で、還るべき体感を教えてくれる羅針盤のような存在です。

目の前に花を飾ることができないときも、耳に花が咲いていたら、いつでも、例え数秒でも、それを手に取って眺めて心を戻すことができる。
手に取ることが叶わなくても、耳元にそれは咲いている。

私の”快速になんか抜かれないわ"という詩集を読んでくれた方が、
“武者震いがした”という感想をくれたことがあります。

私の文章作品は、妙なグルーブを一定のリズムでメタしながら進行する変態性が客観的な売りだけど(なんじゃそら)、poetaは最も優しい純粋な体感から生み出されています。

でも目的が違うだけで、体感にくる点で、価値は同じなの。
だから手法が違ったとしても、私は私の創るものに絶対的な自信があります。

文章は、繊細なあたしたちが誰といなくてもどこにいられなくても独りが耐えられないときも
それを抱えていられるように。

耳飾りは、優しいあたしたちが誰といてもどこにいても独りでも本当に安心した記憶と繋がれるように。

会期は残り1週間。3/3の24:00まで。−詩人の作る、耳飾り−、どうぞよろしくお願いいたします。

画像1


この記事が参加している募集

#私の作品紹介

97,043件

#オンライン展覧会

17,339件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?