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なりたかった職業ランキング《第4位:教祖》

一時期note上で大流行した「才能適職診断」で、これが《適職》3番目に出てきた時、ドキリとしました。
(うーむ……なぜ知ってる?)

4位 教祖

といっても、現在、そして過去に世間を騒がせたような、カルト教団の教祖とはまったく異なります

中学の頃《新約聖書》を愛読していたと書いたことがあります。「ジーザスの大冒険」的長編小説として読んでいたのですが、その中に「教祖の起こした奇跡」が何度も登場します。

高校時代には「ノストラダムスの大予言」なる本や映画がヒットし、1999年に人類が滅亡の危機に遭遇するなど、「終末論的な予言」がまことしやかに流布され、信じている人も結構いました。

聖書の書かれた2000年前ならともかく、20世紀(当時)の現代にあって、科学的な裏付けのない《奇跡》や《予言》を信じる人びとがいることが、私には驚きでした。

そんな中、「ツァラトゥストラはかく語りき」などニーチェの一連の著作を読むようになりました。
彼は(あくまでも個人的な理解ですが)既知の「神」を否定し、それに代わる「頼るべき、というより目指すべき理想」として、《超人》という概念を提示しました。
しかし、その概念にそれ以上の具体化はなく、自分にとっての《超人》とは何か、考える必要がある、と思いました。

その頃に「第1次オイルショック」が起き、近い将来の石油枯渇が懸念され始めました。枯渇シナリオはいくつかあり、実際に枯渇する以前、「供給不安」が出始めた段階で原油高騰パニックが起きるだろう、と言われていました。

私はあるインタビューに、
「人生を最も真面目に『考えて』いたのが高校時代」
と答えたことがあります。
そして『考えた』末の結論が、
《科学的に根拠のあるデータに基づいて未来を予測し、人びとを導いていくのが、これからの宗教のあり方であろう》
でした。

そのためには、
《最新の科学的技術的素養を積まねばならぬ》

その頃までの得意科目は、「現代国語」「古文」「世界史」「日本史」と、いわゆる《文系人間》でしたが、高2の終わりに《理系》を選択します。
同時に書かされた「志望校欄」は、「なりたかった職業ランキング5位」の《薬草栽培農家》とのリンクで、某高偏差値国立大学の農学部としました。

この「志望校」を知ったワンゲル部の同級生は、
「お前! そんな所、無理に決まってるだろう!」
と叫んだ後、
「まあ、……目標は高い方がいいかもな」
つくろうように付け足しました。
(……何せ、低空飛行だったので……)

それからちょうど1年、それなりに受験勉強をし、多少の軌道修正をして、別の大学の理系領域に入学しました。

── そこで、「マッチングの失敗」を自覚します。
文化人類学など文系への転出を試みますが、結局、エネルギー準位の低い工学部に進学しました。
その頃には、《「新時代宗教」教祖熱》も冷めていました。

でも、高校時代の考え、
《科学的に根拠のあるデータに基づいて未来を予測し、人びとを導いていくのが、これからの宗教のあり方であろう》
は、心の中の深みに「おり」として残っていました。

27歳の時、某新聞が「人間と科学」というテーマで懸賞論文を募集していることを知りました。
そこで、「おり」を集めて文字に紡いでみました。
《新時代の宗教》を夢想していた時から、ちょうど10年が経っていました。
── 幸運にも、優秀賞5件の中に入り、賞金100万円と副賞の日本語ポータブルワープロをいただきました。

エッセイで賞をいただいたことは、自信になると共に、

自分で自分に、
「やってみなはれ」
とささやく生き方は正しい!

とあらためて追認し、それは、2年後の小説での応募に繋がっていくことになります。


あとは余談になりますが、この受賞から10年ほどが経過し、「再勉生活」を終えて帰国した頃、某週刊誌のインタビューを受ける機会がありました。
その際に(本筋ではない)雑談の中でこの話題も出ました:
「高校時代に、科学を基盤とする宗教を興したいと考えていました」

「── じゃ、どの部分を記事にするかはこちらに任せてくださいね」
インタビューが終わり、記者と別れる際に、ふと思い、
「誤解があるといけないので、一応ゲラを送っていただけないでしょうか?」
と頼みました。

10日ほどして、ゲラを受け取りました。
驚いたことに、そこには、

《今、科学技術を利用した宗教が話題になっていますよね。私も高校時代、同じようなことを考えていました》

とありました!

そのひと月ほど前に「地下鉄サリン事件」が起こり、山梨県上九一色村にあったオウム真理教のサティアンにサリンや青酸ガスの合成工場があるのでは、と連日報道されているさなかのことです。
(確かに、雑談の中で麻原の話題も出たが……)

「私はこんなこと、言っていません!」
直ちに記者に電話をかけ、訂正を求めました。

「……いやあ、このインタビュー記事が出るタイミングが麻原逮捕のXデーじゃないか、と言われているんです。だから、ちょっとマズイかな、とは思ったんですが……」
(── おそらく、確信犯でしょう)
「ちょっと、じゃない! 話がねじ曲がってます!」

まさしく、そのインタビュー記事の掲載号発売直前に麻原はサティアンで逮捕され、週刊誌の表紙は、現場で撮影された《教祖》のモノクロ写真に、急遽差し替えられたのです。

「……ふう、危なかった! まったく、油断も隙もならないな……」

でも、《教祖》という「職業」の、《本質的危うさ》を感じた「瞬間!」でもありました。

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