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「その間の逸失利益です」と人事係長は小銭をジャラジャラ出してきた (エッセイ)

社員の慶弔に際して少額の祝い金や弔慰金を出す会社は多い。
私は既婚者として新卒入社したので、当然、結婚祝金はもらっていない。
最初の子供が生まれたのは入社後2年ほど経った後だったが、そもそもそういう《ルール》があることを知らなかった ── 出産日に特別休暇を取ってもいい、ということは勤務規則に書いてあったので、仕事を休んでビールをたらふく飲んでいたけれど。

それから2年後に2人目が生まれ、さらに1年ほど経ったある日、ヒラ社員だった私は、人事の係長から会議室に呼び出された。
(……何かやらかしたかな)
廊下を歩く間にあれこれ考えた。
思い当たることは、いくつかあった。

「実は、Pochiさんのお子さんの件なんです」
係長は机の上に封筒を取り出した。
「……はあ?」
「第一子が生まれた社員には、お祝い金を5000円、出すことになっています」
「へえ、そうなんですか」
「Pochiさんは3年前に最初のお子さんが誕生していますね」
「ええ、去年は2人目が ── 」
「残念ながら、2人目には差し上げられないんですよ」
「いや、別に、そういう意味じゃ……」
「それでですね、3年前の担当者がこの封筒にお金を入れて用意までしながら」
「……しながら?」
「手違いで、キャビネットの奥にずっと置いてあったんです」
「……ほう」
グダグダ話すのだが、要は遅ればせに祝い金を持って来た、ということのようだった。
(……そんなくだらないことで、会議室に呼びつけるなよ)
そう思っていると、今度は別の封筒をひっくり返し、中の小銭を机の上にばらまいた。
いくらだったのか、もう憶えていないが、総額は300円前後だったのではないか ── もちろん、1円玉まであった。
そして、言うのだ。

「Pochiさんは、たいへんお金にうるさい人だと聞いています」

「え?」
係長は、どこに隠し持っていたのか、電卓を取り出した。
「……はあ?」
私より4,5歳年長のこのオッサンが、一体どこから私が《金にうるさい》という国家機密情報を得たのか、考えようと思いを巡らせたが、ある1点を除いては、まったく心当たりがなかった。
(── ま、とにかく聞いてみよう)

「現在の市中金利は*%ですが、3年前は#%でした。高い方の#%で3年間の複利計算を行うと、¥円になります」
計算書を見せ、さらに電卓をたたいて見せた。
Pochiさんの、3年間の《逸失利益》がこの額、ということになります」
なんだか得意そうに話すこの男の顔を、私は呆れて眺めた。
《金にうるさい社員》の理屈にあらかじめ備え、「完璧な」理論武装と共にこの~300円を準備しているのだった!
── はっきりさせておきますが、このお金は会社のお金ではありません。私個人のおお金です ── 私自身のポケットマネーです」
「── そうなんですか」
「ええ、部下のミスは私の責任ですから」
で、この《大金》が、ですか?── とは、もちろん言わなかった。

私の前には、道がふたつあった。
➀ そんなお金は要りません、と《逸失利益》受領を辞退し、喫茶店でお茶代をどちらが払うかもめにもめるオバチャンたちのように、永遠に続くかに思える《押し引き》を経てから引き上げる。
➁ こんな奴と同じ空気を吸っているのは時間の無駄なので、ハイハイと《逸失利益》を受け取り、後で、『やっぱりPochiさんってお金に……』と後日噂をばらまかれるのを甘受する。

勤務時間の効率的運用を考えれば、文句なく、➁だった。
「あ、そうですか、ありがとうございまーす」
私は封筒と小銭を受け取り、会議室を出た。

ちなみに、彼が私のことを《金にうるさい》と言った理由は、ひとつしか考えられなかった。この少し前、お金が大好きな家族を描いた私の小説が雑誌に掲載されたのだ。
フィクションと現実世界との区別もできない人間が人事の管理職をしているのは問題だったが、世の中と言うのはそういうものかもしれず、思えば、それは既に採用面接の時にあきらかだった。
(その話は、いずれ書きます)


この係長サンとは、その後あまり接点はなかったが、ある日、地下鉄車内で偶然会った。
彼は、用もないのに隣に来て私に問うた:
「もし生まれかわったら、Pochiさんは男がいいですか、女がいいですか?」
「え? そりゃ、女がいいですよ
と反射的に答えると、
「お、それは珍しい。日本ではほとんどの男性が生まれ変わっても男がいい、と答えるんです。Pochiさんは、どうして女になりたいのですか?
と尋ねる。

「だって、男はもう、1回やりましたから ──」
そして、やっぱ女になってオトコとヤッてみたいじゃないですか、どんな風にカラダの中に入って来て、どんな感覚なのか ── と正直に言いかけ、おっとっと ── 《お金にうるさい》事件を思い出した ── こいつにうっかり話したら、世界中に広まるな、と。

「── いやその、ただ、次は女性の人生を経験したいかな、と」

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「いずれ書きます」というのは:

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