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世界のエリート学生たちと暮らした1年間:日本社会に必要な、不確実性を楽しむ『余白』

私にとっての、人生の1年間の「喜劇」。世の中の情報量は爆発的に増え、社会システムや構造が激変する中で、能力には恵まれた人々が多い日本社会に相変わらず必要なのは、余白と、「頑張る」よりも、いかに「楽しむ」か、だと思った。

「マミは美しい魂を持っているね」

「マミの持つポジティブ思考は、周りの人々にエネルギーを与えている」

「誰のためでも、何のためでもなく、自分の為にそのままのマミでいてね」

無力感に苛まれた日々や、教授に人格を否定された日、食べることや外に出ることを文字通り『忘れて』机にへばりついた日々、自分の能力を過信しすぎて締切り1分前に提出した(数多くの)課題。そんな中、「最高の自分」を引き出してくれた、自分以上に自分を信じてくれた友人たちに出会えた、最高の「喜劇」だった。

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「何気ない毎日を冒険に変える」10年の旅路の途中。経済学者兼哲学者でノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン氏が「貧困が才能の許し難い無駄遣いをもたらす」(つまり、貧困はお金がないというだけではなく、人間としての可能性を全開にする能力がない)と言っていたけれど、私は常に、自分が身を置く社会の「子どもたちの可能性」というものを意識していて、それはつまり、どれだけ大人たちが毎日を楽しんでいるか、自らの可能性を信じているか、それによって、その社会の未来が変わる気がしている。

本:『貧困の終焉』ジェフリー・サックス

コロナの影響で日本の大学中退や休学が増える中、そして私自身には海外の大学院入学(現地やオンライン)、MOOC(Massive Open Online Courses)等という選択もあった中、なぜ日本の大学院に進学したのか。

「自分自身が世界へ簡単に旅ができないのなら、世界中の人々が集まる環境に身を置こう」

と考えたから。そもそも、大学院という場所は、学歴社会であり研究の拠点だ。暗記しただけの知識はすぐに薄れてしまうし、そんな暗記の努力は、googleによって掻き消されてしまう。そんな中でも、世界中の人々、特に発展途上国からの人々との人脈形成が、今の社会で、そして私の人生の中で、何よりも大切だと思った。そして、あの頃、まだ欧州や米国での「アジア人差別」のニュースも聞いていたし、1年で修了できる修士課程は英国や日本等の限られた場所でしかなかった。

入学当時、大学院ではいくつかの授業がオフラインで実施されていたものの、私自身は帰国後の隔離中だったのでオンラインで参加し、実際に大学院に行ったのは3回程だっただろうか。ただ、「大学院に通い、他の学生と同じ教室で学びたい」という意欲は次第に薄れ、学校でコミュニティ形成の環境が作れないのなら、居住先で、と方向転換し、同じ意識の留学生たちと最低限の対策を守りながらも数多くのスポーツ、勉強会、イベントを実施してきた。朝食を一緒に作って、互いの部屋で食べたり、共有キッチンでパーティをしたり、庭でガーデニングをして野菜を育てたり、映画を観たり、体育館でのバドミントンやジョギング、ジムに通い、夜12時頃まで共有ラウンジで世界情勢や政治、歴史、文化、考え方や価値観を語り合うことも多かった。

そして、忘れたくない、日常に飛び出す世界の留学生たちの何気ない「格言」を、記録しなければ。

そんな想いだった。

文科省では、「学生が人と関わる機会が減っている。対面授業の促進や学生交流イベントの事例を紹介するなどしてサポートしていきたい」としている、とあったけれど、正直、文科省や教育機関側が何かをするのをただ待っているだけでは、結局何もできないことを学生の立場として学んだ。国費留学生を多く抱える大学院は、日本社会の声に敏感すぎて、万が一のことを恐れている。コロナ感染を「前代未聞の危機」と呼ぶが、組織が周りの変化に柔軟に対応できないことほどの「危機」は無いと思う。私は、このコロナ禍で、地域の人々と協力して、対策を万全にしながら公民館で国費留学生の卒業式を実施した事例を知っている。彼らにとって、本当に誇りだったと思うし、一生の思い出として心に刻まれるだろう。

コロナ禍で経済的困窮も考えられるし、こちらも深刻な問題ではあるけれど、本当に問題なのは「意欲後退」だろう。先生方は、なんとかオンラインで授業をするも、本来、授業中や授業後に他の学生達とたわいもない会話をしたり、イベントやスポーツに参加したりして人脈形成を行っていたのに、全てオンラインとなると、こんどは「住む場所」の価値が上がる(と、私は信じている)。どこでも住める時代だからこそ、どのような環境に身を置くか、自分で選ばなければならない。早稲田大学近くの国際学生寮も、「人と一緒に住むことに対して価値を見いだしている」人々が多いという。

「優秀な仲間」と一緒にいるほうがより自分が磨かれる。就職というキャリア以外にも自分で起業する場合でも、そうしたネットワークでいろんなリソースがついてくる。単に家賃を払うという以上のメリットが、住みながら得られる。

リモート授業で住む場所がどこでもよくなった、そうなると、もちろん海外でも良いし、日本でこれだけの留学生が住む場所は他にはないのではという想いだった。学生時代や卒業後のネットワーク(人脈)の大切さは、計り知れない。

次第に、私のキャンパスはここだ、と、正直大学院には通うことも無くなった。結局、行っても、人気が無く、簡素な、呼吸を感じないコンクリートの壁に挟まれ、生きた心地がしないのだ。

入居オリエンテーションのとき、「勉強だけが全てじゃない。」そういって日本に来た留学生を多く見てきたけれど、この厳格で予防策を徹底されて変化を嫌う環境で、その自分自身の意志を最後まで守り通せる人々はどれだけいるのだろうか。

私は、もがいている留学生をたくさん見てきた。

「日本は好きだけれど・・・」

この後に続く会話は決まって確信をついている。私達が苦手とする「余白」の持ち方。心のゆとり。寛容性。

「日本人は、全てを効率よくしようと、必死だよね。」

「なんでこれだけ発展していて技術が豊かな国なのに、人々は幸せを感じていないんだろう」

「とにかくルールが厳しいし複雑。日本留学を諦めて、他国にした友人もいる。」

「みんな、賢く見せようとしている気がする。心の余裕が無い。」

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「日本人は、何のために頑張っているのか。」
「幸福とは何なのか。」
「日本人自身で答えを探した方がいいと思う。」


大学院だけじゃない。日本社会の課題は、海外から来日して、特に長年住んでいる人々から見て鮮明だった。

そんな留学生との対話や議論も含めて、私は、この1年でとても貴重な経験を得た。自ら掴み取った。だから、彼らの声やライフスタイルから学んだことを共有したいと思った。

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入居日。新しい部屋に入った瞬間、白紙に手書きでカレンダーを書き、毎日のメモと毎月のまとめを書く。1年が終わると、その紙をnoteにまとめる。過ぎ去った日々の記憶をまとめ終わった後、紙を破いて捨てる。それが私の2021年~2022年だった。

日本人の学生からは「Mamiさんは、英語が話せて良いね」と言われて、
日本人の教授からは「Mamiさんは、英語ができるから期待していますよ」とよくわからない期待をかけられた。

何度、言われたのだろう。その度に、日本社会に戻ったことを痛感した。私の苦手な、学力評価社会だった。「東京なんて、2度と住みたくない」そうやって去ったはずの場所だったのに、まさか戻ってくるなんて。できる限り、環境に影響を受けやすい脆い自分を、守らなければ。

母国語ではない英語を自由に操る世界の超エリート留学生たちに、「Mamiの英語は上手だね」と言われたことが無い。日本人は自身の英語力を気にして、話さない。でも、留学生の誰もが、英語力のことなんて気にしていない。そんなものは、彼らにとってどうでも良いのだ。そもそも、彼らは、英語が話せる、話せないで、相手を評価していない。

「所属はどちらですか?」
「お仕事は?」

日本人との決まり文句も、留学生とはほとんど話さない。理由は単純で、所属や仕事で、今後仲良くなりたいと思う相手を選ばないから。日本人がよく言う(そして、私も過去よく使っていた)「英語があまり話せないので・・・」という前置き?謙遜?気遣い?最初に学ぶフレーズ?は、結局、自分も相手も、幸せにしないことに気づく。そもそもこの謙遜は、よく考えてみると、自分自身が語学力という目に見えたもので相手を評価していた裏返しじゃないのか、とさえ思えた。

そもそも、落合陽一氏も言っていたけれど、世界各国の人と共通言語を持つこと、というのは、言語が話せる、ということではなく、地球規模の問題への認識、どのように解決していくべきか、自分の興味のあるテーマ、自分なりの意見、日々行動していることだと思う。

そして、寛容性とは、何でも受け入れることや優しさではないと最近思う。見た目だけで人も情報も判断しないこと、なんじゃないかな。

「各国の将来を担う留学生たちとの人的ネットワーク形成の構築」と書かれていた大学院のパンフレット。できるかどうかは、全て自分次第。結局、みんな、忙しいのだ。「国費留学」という肩書上、科目を落とすと強制帰国の場合もありえる。当然、自分も、何人の遊びの誘いを断ったか数知れない。ただ、「タイミング」が合わなかったのだ。

人間関係で、特に「相手の返事が遅い」とか「既読になっているのに、なんで返事しないのか?」と思ってしまう人。それは、単純にタイミングが合わなかった、と考えると少しエネルギーの消耗を減らせるかもしれない。

あと、留学生と友人になる際、趣味のスポーツや文化に対する知識、あとユーモアのセンスが大事だと思う。それまでの学歴や肩書は、そこまで気にしないし、それを知ったところで「あなた」が見えてこないのだろう。

30代前後の留学生たちは、政府機関の常任公務員として、学力も地位も名誉も(コネも)全てを駆使して、今、ここにいる。日本以上に学歴社会で育ってきた人々もいる。でもみんなに共通しているのは、とてもフレンドリーで、面白く、「楽しむ」ことに全力を捧げる。母国での業務が忙しすぎて、特に南アジア(インドやバングラデッシュ)の留学生たちは「サバティカル休暇みたいなもの」と大学院の生活をそう呼ぶ。

私自身は、CouchsurfingやMeetup、Airbnbを通して、世界の大企業で働く人々や国連職員、各国の政府職員、10か国以上を操る詩人、旅人、起業家、母子家庭、車や路上で生活する人々、たくさんの人々と出会ってきた。キングコングの西野氏が言っていたように「その場で交わされている会話が、自分の生命力に反映される」。

だから、私達は「楽しく生き残れる場所を正しく選ぶ」必要がある。自分がどこにいるかで、どういう環境を選ぶかで、知識量が、人脈が、将来が、大きく変わる。

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米国のUCLAの神経科学学部で脳科学を学んでDAncingEinsteinを設立した青砥氏も言っていた。

UCLA在学時代に、東大や京大といった日本の優秀な学生の相談に乗るなかで、輝かしいレールの上を歩いてきたはずの彼らが「本当にやりたいこともわからないまま就職していいのか」という葛藤を抱いていると気づいたのがきっかけで、学問の追求よりも神経科学と教育のあいだに架け橋をつくりたいと考えた。

神経科学の観点から、教室をよくするためのアプローチを試行錯誤。褒め言葉を一人の生徒に掛けていくことによる効果。学級崩壊していたクラスが再機能するようになった。日本の教育には「センス・オブ・ワンダー」一人一人の異なる感性から生まれる、疑問や興味関心に根付いた教育を施す必要がある。

物理学者のアインシュタインが「私には特別な才能などありません。ただ、ものすごく好奇心が強いだけです」という言葉を残したように、人間は、自分がやりたいことに向かって学ぶときに大きな力を発揮する。一方で自分の興味関心が薄い分野を記憶する際には、余分にエネルギーを消費するので効率が悪い。脳神経科学の視点からいえば、非効率的な学習方法を続けているのが日本の教育

日本には、社会に引かれたレールに従って、自分の生き甲斐を見つけられないまま就職してしまっている大人たちがたくさんいる。このとき、ノルアドレナリン性が強い状況で働き続けていると、生産性は落ちる。現代は、VUCAの時代と言われているが、このような変化の激しい時代にこそ、自分自身を深く知る「メタ認知」が活きてくる。「どんなときに自分は喜びを感じるのか」「自分は本当はどんな人間なのか」など自己の内面に気づくことで、周りの状況がいくら変動しようとも、決して揺らがない自分をつくることが、今何よりも求められているのではないか。

同じ日本人として残念だけれど、私は「あの人は教養があるなー」と感嘆したのは、全て海外の方々だった。年下の方々も大勢いるし、いわゆる発展途上国の人々で同世代の人々は、とても尊敬している。教授の皆さんは、当然ながら学識があり海外の有名大学出身で、著書も多く出版されており、私には、全く手の届かない、雲の上の存在だ。ただ、誤解を恐れずに言うと、「人として尊敬、信頼できるか」はまた別の話だった。

ハーバード大学のマイケルサンデル教授が言う「分断」。市場主導型の能力主義社会である現代は、個人の成長や知的探求という教育を評価できず、競争や比較を動機とした別のものに変えてしまう。能力主義が生む競争、分断。

頭の中でいろいろ考えながら、周りの人々と対話を繰り返しながら、生きた。

そもそも、大学院生たるもの、授業と論文執筆が仕事だ。受け身の受講ではなく、自分で考えて能動的に調査、分析し、膨大な数の文献を読み、授業準備にも膨大な時間がかかる。その上で、私の軸は常に「楽しむ大人を増やす」こと。「真剣」に「頑張る」ことを美徳とする日本社会で、「こんな毎日を楽しんでいる日本人もいるのだ」と、留学生にも子どもたちにも、きっと伝えたかったのだ。

月ごとの記録を、自分のために、そして留学生たちから学んだことを、日本社会に生きる、誰かのために。

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