大人だからこそ、夢を見るべき、叶えるべき【「うふふな日々」(あさのあつこ著)を読んで】
大人を楽しんでる大人が大好きです!
(なんかオリコカードのCMを思い出す…「俺はオリコが…大好きだッ」てやつです、すみませんなんでもありません)
だからドラマ「最後から2番目の恋」とか毎年DVD借りてまでして観ちゃうんです。
とにかく大好きなんです、大人が、人生の先輩方が人生を楽しんでいる様が!
青少年が初恋を楽しんでるのより全然好きです。
(だから朝ドラとかあんまり興味をそそられません、私はひねくれています、すみません)
あさのあつこさんのエッセイ、「うふふな日々」は最高でした。
今や日本の本好きで知らない人はいないんじゃないかくらい有名な作家さんですが、「書きたい」という想いを秘めながら、子育てが一旦落ち着き始めた30代後半に、本格的に書き始めたというのです。
あさのさんは大人になってから、恋愛や出産、子育てを経験したのち(もしくはしながら)に作家になるという夢を叶えたのですね。
いやー感化されてしまいます、こういう話、大好きです。(じゅるり)
世の中、最年少〇〇とか、若くして〇〇、とか、少年少女青少年に焦点を当てすぎだと思います。
確かに若くして何かを成し遂げたり賞を取ったりすることは立派なことだと思いますが、
大人になった時こそ、夢を見つけ、取り組み、叶える人生の時期なんじゃないかって思います。
あさのさんは10代の頃から物書きに憧れていましたが、20代に突入して結婚し、出産を経験する中で、日々の忙しさから書くことが出来なくなったそうです。
でも、あさのさんはその「書けなかった20代」が、人生の豊穣な時であり、物書きとしての自分の基盤を培った年月だったとずっと後で気づいたそうです。
その後前述したように30代後半から書き始め、40代をこう綴っています。
四十代とは新たな自分を発見する年代ではないだろうか。
自分の矜持を取り戻し、自分を尊ぶ。
もう若くもなく過ちを犯してばかりの、惑ってばかりの、しかし、逃げなかった自分を誇る。
その力を獲得する時間なのだ。
大人って、宝箱だって思います。
ほんと、宝箱が歩いてる!って思う時があります。
この世の真理や、生きるということそのものが詰まっている気がする。
でもそれは、私のようなクソ未熟な若者(えっ私って若者?)が宝箱を開けたって、理解できないんです。
奪おうとしても、奪えないんです。
その価値や、その宝の意味を理解出来ないから。
だから大人は皆、危うくて何よりも尊くて何よりも価値のある宝物で出来ている、って思います。私にはそう見えます。
あさのさんの、大人になった自分について書いた言葉こそが、
もうそのまま美しく輝く宝物であって、誰にも奪えない、
でもその意味を理解することが出来るものだけに希望をもたらしてくれる
この世で最も尊いと言っていいんじゃないかってくらいの、真理だと思いました。
その言葉を引用させて頂きます。
(もうこのnoteはただひたすらあさのさんの素晴らしさにあやかりまくるだけですね、でも私みたいな青二才が何を書いてもひたすらにその薄っぺらさが強調されるので自重します)
この歳になって、十代のころより優れていると思えるのは、ただ一つだけ、自分を好きになれたことだ。
初老の弛んだ肉体と怒りっぽい性格と図太さを抱えた今の自分が好きなのだ。
十代のころのように、自分を拒み、信じられないと俯くようなまねはしない。
ここまで生きてきた。
それが他者からみて、どれほど平凡で、どれほど愚かで、どれほどつまらないものであったとしても、関係ない。
わたしは、そしてあなたもここまで生きてきた。
それは称賛に値する。
どんな人生だって無駄で無意味なものなどないはずだ。
生きてきた自分をまずは愛でよう。
生きてきた軌跡を愛そう。
そして、信じる。
わたしたちには、その資格も力量もある。
ここからがスタートだ。
生きて、自分を好きだと諾える者だけが立つことのできるスタートラインにわたしたちは、並んでいるのだ。
ゴールは遥か遠くに霞んでいる。
10代や20代の、「うわーかわいい!」って思うようなモデルの美しさや愛らしさ、無垢さ、儚さより、
人に平凡と言われようとつまらないと言われようと、どんな形でも
「ここまで生きてきた」人がたどり着く真理の力強さや尊さに、何よりも価値を感じるのです。
そして、未来の自分が私なりの真理を見つけられることを、心から期待するのです。
(自分で自分にプレッシャーを与えまくるドMライフスタイル)
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