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私がSNSを好きで好きで好きで好きでたまらない理由

死ぬ…
コロナでもインフルでもないのに39.5度の熱が出ました…
というかかれこれ4日間連続出ています…
なんなんでしょう、逆に怖いですがロキソニンプレミアムを飲めば無かったことに出来るので、血の気が引いたら薬を飲んで死に、元気になったら動く、を繰り返しております。
皆様も夏風邪?にはお気をつけください…

私はスマホ依存症です。
SNSはGoogleMapくらい平和に貢献していると思っている派の人間です。
改めて、SNSってまじで涙出るくらい素晴らしいテクノロジーだなと思ったのでそのことについて書きたいと思います。

私がSNSを好きな理由は、
自分と同じ地べたに生きる他者を知ることが出来るから、ということです。
よくSNSはキラキラしていてフェイクで良くない、みたいな声をよく目にします。
もちろんそのような意見も筋が通っていると思いますが、
どんな物事にも、人それぞれの眼鏡を通して見える良し悪しがあると思うので(当たり前かい)
自分がSNSをどう見たいか、っていうだけだと思う派の人間です。
私は、SNSを利用することのメリットの方が個人的にでかい、という人間なだけでございます。
屋敷しもべ妖精は皆、自由な妖精なのでございます。

他者を知ることが出来るからSNSが好き、と書きました。
今までだったら、発信出来るのは、異常に美形だったり異常に風変わり(を装っている)だったりして、
ビジネスの場で活躍しやすい、いわゆる誰かに(企業に)選ばれた人達、ばかりだったように思います。
しかしながら、SNSでは庶民が庶民に出会うことが出来るのです。
(しかも匿名で)
地べたで生きる一般人です。
もちろん庶民だろうが芸能人だろうが金持ちだろうが何でも良いのですが、生で生きる人間と人間が出会うことが出来る場です。

例えば、個性的な特性を持った子供のための美容院のオーナーを務める美容師さんがいたり、
容姿に人一倍コンプレックスを持った人が美容院で「すげえ化け物来たな」と言われて長年自信を喪失した人が、年齢を経るにつれて、もう一度「綺麗になりたい」と奮起する様とか、
(すみません、美容師系のチャンネルにハマっています)
小さなことから大きなことまで色んな人が、色んな悩みとか色んな葛藤を抱えて、生きている、ということがSNSに溢れているんです。
SNSは冷たいとか、電車の中で皆がスマホをいじっていてしんどい、とか、色々な意見があるかもですが、
私はこのSNSバブルの時代を、他者を身近に感じられる温かい時代だと個人的に感じています。

では、なぜ他者を身近に感じられることを素晴らしいと感じるのか?
それは、他者の素直な心中に触れるという体験は、
他者と共に生きる(共生する)スキルと、
自分が自分を生きぬくためのスキルを身につける訓練に繋がる、
と考えるからです。
私の大好きなブレディみかこさんも著書の中で似たようなことを仰っていて胸が熱くなりましたが、
他者に共感する、という能力を活かして他人に寄り添いつつ、
自分と似ても似つかない状況に生きる他者の立場に立とうと努める、
という努力(これは共感ではなくエンパシーと呼ばれるものです)は、
他者と共に生きていく上で非常に重要な心構えではないか、とブレディみかこさん同様、私も思うのです。
他者の立場に立つ努力、
というのは非常に難しいもので(言い回しも難しいもので)自分と他人は全く異なる生き物だということを受け入れる努力から始まり、
まずは自分の感情と向き合う努力が必要だと思います。
自分のこの心のムズムズが、悲しいのか、腹が減っているのか、寂しいのか、わからない、わかろうともしないのに、
他人が自分と同じようなムズムズを感じていそうだな、という時に、
「あいつ何ムズムズしてんだよ、ムズムズしてる奴はうぜえから街に出てくんなよ!それか目障りだから俺が殺してやるよ!」
みたいな思考になりかねません。(激しいですが)
電車の中でベビーカーを蹴るサラリーマンや、
子連れの女性が新幹線のプレミアシートを利用しているのを写真に撮ってSNSにアップし、迷惑だとか男性専用車両を作って欲しい、とか平気で言える人が良い例ではないでしょうか。
(SNSには色んな人がいるってこういうことだよねママー!)
また、共感しすぎて心身ともに病気になる、ということもあるように、
共感という超能力とは、慎重に付き合っていく必要があると思います。
共感という能力を不適切に使用して、自分生き抜くことに弊害が出ないよう、注意していきたい次第です。
つまるところ何が言いたいかというと、
自分と向き合う努力に邁進する。
その上で、他者の世界が自分のと同じように存在しているということを知り、
その真実に含まれた無数の不都合を一つ一つ、勇気を持って受け入れるに努める、
というのが大切だと思うので自分頑張って!と思う次第です。(投げやり)

自分が苦しい時に、自分のその苦しさに面と向かって向き合ったことの無い人が、
他人が苦しい時に、それを「苦しいんだね」と思えるはずは無いと私は思います。
「そんなことで何を悩んでんだよ、てめえは考えが甘いんだよ」とか
「皆普通にやってるよ」とか
「あなたはそのままでいいのよ(他人の悩みに興味が無い人による、自分良い人プロモーションならびに無責任)」
とか平気で言えてしまう予感がいたします。
他人と共に生きていきたいのであれば、
自分に向き合う勇気と努力が死ぬまで必要なんじゃないかと改めて、SNSに思わされました。

出会ったことの無いような人の素直な苦悩や生きることに真摯であろうとする姿に乾杯!
熱も下がるぜ!(下がってくれたら嬉しいぜ)
冷えピタ頭に張りつつ今日も仕事(白目)です、頑張ります!!!(爆泣鼻水)

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