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悩みがあるかぎりどうにでも幸せになれる【「死にたいけどトッポッキは食べたい」(ペク・セヒ著)を読んで】

生きているかぎり悩みは尽きない。
悩みがあるということはより良い自分になりたいと一生懸命生きている証拠であり、伸び代そのものなんじゃないかなって思います。

アドラーの嫌われる勇気か何かでも書いてあったかと思うのですが、
人の悩みというのはほとんどが対人関係から成るものだそうです。
(記憶違いだったらすみません、海馬が弱いということをご承知おきの上お付き合い頂けますと幸いです…)
他人を意識しなければ、孤独や嫉妬、コンプレックスは感じないように、
実際に他人と会話したり関わったりする機会が少ない環境だとしても、
他人というものが自分以外に存在していると認知している時点で対人関係は成立しているというのです。
そもそも人はこの世に一人でいることなんて出来ないので、
対人関係に関する悩みというのは、あって当たり前であって、無くなることなどない、ということなのですしおすし…。(古い)

「死にたいけどトッポッキは食べたい」(ペク・セヒ著)を読みました。
(めっちゃ人気ですよね、図書館で借りようとしたら200人待ちとかで一生自分の順番回ってきませんでした…)
著者のペク・セヒさんが慢性的に抱える心の悩みを、精神科(心療内科なのかな)の先生にカウンセリングされていく様が対談形式で書かれた本になります。


自分と他人を比べてしまうこと、
他人に馬鹿にされているような気分になること、
感情をうまく表に出せないこと、
他人に依存してしまうこと、
など、ペク・セヒさんは悩みを打ち明けていくのですが、
そもそもカウンセリングに行こう、自分を深く知ろう、自分と向き合おうと思った時点でこの方は幸せにしかなれない、って思いました。
自分のことを深く理解しようとする、というのは怖い行為じゃないでしょうか?
でも、よりよい人生を生きていきたいと思った時に、
自分と向き合おうとする勇気を持つことこそが最も重要なスタートなんじゃないかって、思うのです。


そう思うのは、この本にはひたすら、「答えは自分の中にある」ということが書かれていたからです。

自分の夢を叶えたのに、もっと評価されている人を見て自分に失望するのは、
自分と他人を比べることで自分の立ち位置、成長の軌跡から目を背けているから。
今の自分と今までの自分を比べることで、自分がどれだけの事を成し遂げてきたが分かりますよね。

他人の目が気になって、自分の言動を過剰に気にしてしまうのは、
他人に見下されているのではなく、実は自分で自分を見下していたから。

こうやって視点を他人から、自分、自分、自分、に変えていくことによって、
実は他人や周りの環境ではなく自分自身の認識こそが、自分を苦しめていたいうことに気づくのだそうです。
私も以前(本当のことを言うと今も若干そうなのですが)、
わりと頭狂ってるんじゃないかくらい自分の容姿が大嫌いになりました。
その時も、自分の愛する人が私のことをクソブスだと思っているんだと自分で思い込んで、鏡を見るのが怖くて仕方なくなりましたが、
実際は(彼がどう思っていたのかは知りませんし今となってはクソどうでもいいのですが)彼からクソブスとか言われた事実はなく、自分でそう思いたかったんだと思います。
いつも原因は自分の中にある、自分が悲鳴を上げている、
勇気を持って自分の悲鳴に心を傾けてあげないと、他人に原因を求めてしまうと、一生原因不明の憂鬱に悩まされるんじゃないでしょうか。


人は分かり合えない生き物です。
どこまでも悲しくて、どこまでも面白い事実です。
でも、分かり合いたい、慈しみ合いたい。
ペク・セヒさんの下記の文章が、ペク・セヒさんが命を尽くして出した答えであり、心を込めて綴ったものだと感じたので、最後に引用させて頂きたいと思います。

レベッカ・ソルニットの『遠くて近い』(The Faraway Nearby)に
「ある感情移入は学ばなければならず、その次に想像しなければならない」
という一節がある。
私の中に種がないものは、絶対に育つことはない。
だから、私たちは生涯にわたって他人とは平行線をたどるしかない。
しかし、私の中にないものを作り出すための方法が想像と学習だ。
感情移入というのもやはり学習であり、想像しなければいけない時がある。
感情移入は自然にできるものだと考え、自分を動かさない多くのものに対しては、心を閉ざして生きてきた。
しかし、私の中になかったものを作り出して連帯する瞬間こそが、大人になる一つの道であるはずだ。
私たちは多くの人たちと遠くて近い。
そしてそれが家族であるほど近くて遥かに遠く、
遠くの彼方にいても瞬時に横に座らせることができるほど近い。
理解できず、だから移入もできない感情を、学んで想像すること。
それは他人に対しての愛情であり、私の中のタネと相手の中のタネが干からびてしまわないための唯一の脱出口である。
完璧に理解はできなくても、それでも握ったロープを離すまいとする心。

このことを知るのと知らずにいるのとでは、天地ほど差があると思っている。
だからまずは感情移入できそうな人々から始めようと心に決めた。
私が愛情を持っていたのに、いつからか背を向けて離れてしまった人々から。

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