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自分の生きる場所はここだけじゃないってますます思いたい【「ニューヨークの魔法のじかん」(岡田光世著)を20代OLが読んで思ったこと】

私の地元は3歳くらいまで村だった。
(村ってなんだよ…トリックかよ)

現在は既に町になったが、人口は減少傾向にあり、おそらく今現在の人口状況だと実質村である。
(人口1万人未満は村、人口1万人を超えると町になるんだったと思います)
サバイバル戦争に打ち勝つため、他の市と合併を何度も試みたが惨敗しまくり今に至るという、なんとも小さく悲しい町である。

そんな村でも町でも(正直村の方がもはや味があっていいですよね。どうぶつの森感あるし)私にとっては大切なふるさとなのだ。
春にはどこからともなく菜の花と太陽の優しい匂いがただよって、飛行機の走行音がブーンと遠い空から聞こえてくる。
(春になると「さとーさん、かとーさん」ってめっちゃ呼んでる鳥出てきません?なんなんですかねあの鳥)
おたまじゃくしの甘い匂いがキラキラ水が輝く田んぼから立ち込めてくると、あ~5月だなあという感じ。
(普通にキモいワードで自分でもびっくりしたんですけど、本当にあるんですよ、おたまじゃくしの匂い。分かる人いらっしゃいませんか?)
夏の夜にはかえるの大合唱の中、家の近くの自動販売機にジュースを買いに来た子どもたちのはしゃぐ声が聞こえる。
町内放送が夏の間だけ18時に流れて、帰り道に人んちの夕飯の匂いがすると急に早く帰りたくなったのを思い出す。
秋夜には鈴虫がリンリン鳴く中、私は必ずハリーポッターを読破しまくるという一大イベントをこなしていた。
(ホグワーツの新学期は9月開始なので、9月になると「やべえ!ハリーポッター読まないと!」という気持ちが沸き起こってました。14歳くらいまで入学許可証待ってたんですけどこなかったですね…)
冬の朝は口を開けて自転車に乗っているだけで歯が知覚過敏になりながらも、霜柱を見つけては踏んづけて破壊するなど自然の神秘を台無しにしていた。


いつもながらクソ長い前置きはさておき、(なんかめっちゃ思い出語ってしまった)先日読んだ「ニューヨーク とけない魔法」(岡田光世著)は、自分の暮らす街(岡田さんにとってのニューヨーク)への愛情と期待が詰まった一冊だったように思う。
私の勝手な解釈だが、岡田さんにとってのニューヨークは、
「美しい思い出の詰まった尊い場所」でありつつ、
「何か面白い事が起きるんじゃないか」とワクワクさせられるような「魔法が起きるチャンスの詰まったびっくり箱」のような存在なのだなと感じた。
そして、ニューヨークという場所は、人間が命を吹き込んでいるからこそ、ニューヨークであり続けるのだと感じた。


岡田さんの見つける消えない魔法は、ニューヨークでの人との関わり合いの中で発見しているから。
日本ではあまり考えられないが、岡田さんの暮らすニューヨークで、岡田さんはとにかく知らない人に絡みまくり、知らない人に絡まれまくっている。
以前マツコ・デラックスさんが「渋谷は谷だから色んな人間の’気’が集まってくんのよ」みたいな事をテレビで仰っていたが、まさにそういうことだと思う。
その場所に人間の’気’が集まって、その土地に命を吹き込んでいく、それを繰り返してその土地はパワーを持つのだろう。
岡田さんの感性とニューヨークの空気感が合わさって、夢いっぱいの魔法が生まれたが、きっと自分から歩み寄ればその土地も応えてくれる、なんとなくそんな気がした。

例えば私事だが、私は社会人2年目の時に生まれて初めて関東地方を泣く泣く離れ、名古屋での一人暮らしを経験した。(頭のおかしい社員だったので、たった半年で終わりました。そんな顔で見ないで下さい。)
最初は人にも土地にも文化にも馴染めず(名古屋めしだけはめっちゃうまかった)こんなところ大嫌いだ、早く関東に帰りたいとばかり思っていた。
そう思っていれば当然ながらポジティブな出来事など起こりやしないので、最初の2ヶ月くらいは相当つまらなく、関東に思いを馳せる24時間みたいな毎日だった。(ここまで来たらもはや人事の判断ミスだろ…)


しかしながら、いつの日だったか、突然
「人生の素晴らしいこの20代を無駄にしていいと思ってんのかこのクソデブ!食うぞ!モーニングを!食いまくれ!!」
という神のお告げのもと(?)モーニングの楽しさにどっぷりハマった私は休日に5時起きなどして朝はモーニング、昼は狂ったように名古屋中を歩き回り、(名古屋市内から脱出する事もしばしば)夜は狂ったようにジョギングするという謎の変態と化し、気づいたら名古屋が大好きすぎてもう二度と離れたくないようななくないようななくなくないような気分になっていた。(どっちや)

つまりこのように(なにもつまるところはない)、その土地に歩み寄れば、(優しい土地であれば)その土地も受け入れてくれる(事が多い)と思えるようになった。
(どうしても自分と相性が悪いとか、そういう例外はあると思われます…)
その土地には、そこで起こった無数の出来事と人々の思い出の歴史が詰まっているのだから、自分がしっかりしていないときっと飲み込まれて、そのままズルズル毎日が過ぎてしまうのでは、とさえも思う。

こうして自分の体験談を回想しながら岡田さんのエッセイを読んでいると、その土地で素敵な魔法を感じるためには、素敵な魔法を感じ取れるだけの自分でいなくてはいけないんだなあ、と改めて思う。
そして、そんな自分になれたなら、この世界には素敵な場所が沢山あるのだ!もっと見てみたい!と夢見ることが出来る。


名古屋に移住するまで、自分は関東以外の場所で生活することなんて無いだろうと勝手に思っていたけれど、それは単に池の中の蛙だったわけで、私は世界の素晴らしさのほんのかけらしか知らなかったのだ。
この世には沢山の素敵な場所があるのだから、漠然と「ここにとどまらなければならない」とかそういうルールを自分に課さないで、柔軟な気持ちでいたいなと思う。
岡田さんのように、
明日の出会いに期待しながら、
その土地その土地を好きになれるよう歩み寄ったり、拒否されてがっかりしながら、
これからも好き勝手にワクワク世界中に飛び出していこうと思う。

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