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創作がしたい!妥協しないで表現すること

この記事が書きたくなった発端はアニメ「チェンソーマン」。創作って素晴らしいと思えた。

発端となった「チェンソーマン」

まずは創作意欲について書きたくなったきっかけのアニメ「チェンソーマン」のことから。

特に思い入れがあったわけでもなく、なんとなく見始めたアニメ。今となっては、本当に素晴らしい”作品”。

特にアニメが好きな人間ではないのだけど、チェンソーマンのアニメのできが良すぎて、アニメ作品ではじめてDVDーBOXを買おうかと思った。

スマホのYouTubeでアニメの切り抜きとかを見ることもあったのだけど、たまたまチェンソーマン3話?くらいからモニターで観た。

映像って大きな画面で観るものですね!!

スマホの小さい画面で見るのとは全然感じ方が違う。音楽のPVも、アニメも、映画も、絶対にモニターとか大きな画面で観るべきだと思った。

そのことをチェンソーマンのアニメに気づかされた。自分の中に入ってくるものの量が、スマホのときとケタ違い。全身で作品を味わうことができるんですね。

アニメ「チェンソーマン」、本当にドキドキして、映画のように面白かった。観ているだけで色んな感覚が次々に全身に入ってきた。

ストーリーとか、音楽とか、どれって言えない、音楽も映像もキャラクターも、すべてひっくるめたひとつの塊として、私の中に響いて、創作って素晴らしいって思えた。制作陣の方、ありがとうございます。

(姫野先輩がこのアニメシーズンのヒロインでしたね。大切に扱われていて嬉しかったです。)

創作したいのはなぜ?

そもそもブログを書きたくなったのも、ここまで自分が生きてきて手に入れたものを、何かのカタチで残したいと思ったから。

逃げることの多かった人生、怠惰な時間を普通の社会人よりも多く過ごしている人生で、私が思う「世間の人」は、私みたいな人間の言葉には耳をかさないかもしれない。

大学卒業してそのまま就職して世間の荒波にもまれながら生きている立派な方たち、こう書くと馬鹿にしてるみたいだなと思うけど、尊敬もしている。

その人たちより私は頑張ってないから、私がここまでの人生で得てきたものは薄い、なんてことはない。ここまで来るのに、ただの「考えすぎ」には収まらない体験をしてきた。

私みたいに、人と話すのに難があったり、普通に会社勤めがどうしてもできない人が感じてきたものが、そうじゃない人たちの考えや体験より劣るなんてことは、絶対にないじゃないか。

だから、ここまで感じてきたこと、得てきたこと、わかったことを、斜に構えたり、かっこつけたりしないで、真正面から自分に向き合って、伝えたいことを、よく見聞きする言葉や考え方に妥協しないで伝えようと頑張って、表現していきたい。

そういうことができたら、私の生活をバカにされても、そんなことは片隅に置いて、自信持って生きていける気がする。

妥協しない心構え以外にも必要なこと

自分の中にあるものを表現するのが、体験談のような直接的なかたちでも、小説でも、アニメでも、歌でも、表現しようと全力を尽くしたのなら、素晴らしい作品。

私は小説も好きだけど、エッセイも大好き。雑誌なんかで素敵なエッセイを読むと、心がぽかぽかする。そんなものが書きたくて、ブログを始めた。

伝えるためには、心の中にあるものをできるだけ正確に表現しようと、妥協しない心構えだけあればいいわけじゃない。

言葉に救われて、だから言葉で伝えたいと思っている私なら、もっともっと小説やエッセイを読んで、素敵な言葉に触れて、そういう努力も必要だなと感じている。






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