イマジネーション ピカスペース

イマジネーションピカスペースの店主、くまがいはるきの個人的な記録です。 今の所、最高傑…

イマジネーション ピカスペース

イマジネーションピカスペースの店主、くまがいはるきの個人的な記録です。 今の所、最高傑作は【へてへてはてる】の中の【ワルツ】になります。 Shall We Dance? https://instagram.com/pikaspace?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==

マガジン

  • 新世界市場+小さな漁村=二拠点生活

    12年前にわたしは宮城県気仙沼から大阪新世界に流れた イマジネーションピカスペースを新世界市場に開業してもう少しで11年目になる 新しい土地への憧れがここ数年燻っていた 二拠点生活に移行しようと3年位前から準備してきた ようやくもう一つの拠点、淡路島での生活が始まる 二拠点生活がどう転ぶのか?その経緯をここに記して行きたい 上手くいくなら少しずつ拠点を増やして行きたいと思っている 小さな漁村から始まる漂流物の、新しい門出の物語である

  • 島猟師はるちゃん

    2021年、長野で原始感覚美術祭に参加した 千年の森と言う場所があり1週間、滞在制作した 作品は山奥にある中州で制作 そこで久々に熊に遭遇した、距離にして2m 熊は居座り、威嚇を繰り返してきた 熊と20分間対峙した時、恐怖と共に昔の事を思いだした 20代のバックパッカーの時の選択肢 『インドに行くか?アラスカに行くか?』 シッダールタを読んでインドに行きたいと強く思った 星野道夫や植村直己を読む度にアラスカにも強く惹かれた 悩みに悩んで行き先をインドにした あの時、アラスカにも行きたかった グリズリーと対峙したいと思っていた 長野の熊は真直ぐわたしを捉えながらこう言ってた 「イツマデソコニイル」「コイヨ」「イフトイケイノシンセカイニ」 荒野への憧れは20年燻っていて、火種は唐突に訪れた わたしは今年、新米猟師になった 淡路島に移住し、狩猟生活を始める 標津を挟んでアラスカまで辿り着きたい

  • へてへてはてる

    経て経て果てる

  • Alien Mind Cafe

    10年前にわたしは宮城県気仙沼から大阪新世界に流れた 同時期に北海道苫小牧から新世界に流れ着いたはん わたし達の関係はそこから10年に及ぶ 令和4年初旬にはんは、いつも通りな議題を持ち込んだ 『Alien Mind Cafe』と言う議題だ 『Alien Mind Cafe』とは、はんの仮想店舗の話しである それがどうころぶのか?その経緯をここに記して行きたい 同時期に流れ着いた北からの漂流物2人のいつもの物語である ※西成ガギグゲゴ 七人の侍はんのサイドストーリーである そちらを読んでからだといっそう楽しめると思います はんはこちらから https://note.com/pikaspace/n/n80df2cc38888 ※Alien Mind Cafe試聴方法 Spotifyをダウンロードしてもらい検索でAlien Mind Cafeと入力する ようこそAlien Mind Cafeへ

  • たま神さま

    10年前にわたしは宮城県気仙沼から新世界に流れた 37年前に鹿児島から西成に流れ着いたたま神、わたし達の関係は9年になる たま神は最近、膝を痛めて現場仕事が出来なくなった。たま神には特殊な能力があり、かろうじて毎日過ごせている。わたしにはそんな日々を楽しんでいる様にも見える。令和の時代にもアパッチ族はいる。たま神がどうころぶのか?その経緯をここに記して行きたい 北と南から流れ着いた漂流物2人のいつもの物語である ※西成ガギグゲゴ 七人の侍 伍のサイドストーリーである そちらを読んでからだといっそう楽しめると思います 伍はこちらから https://note.com/pikaspace/n/nac67a0b0c55e

最近の記事

新世界市場+小さな漁村=二拠点生活#1

新世界市場に流れて12年が経過した いつぐらいからだろうか? 色々な事柄やしがらみ、猥雑な大阪新世界と言う生活環境 あらゆる人種と人間が往来するイマジネーションピカスペースの日々 去来する人、人、人。 新しい発見も見出せず、少しずつ心が擦り切れていた ただこれで飯を食っている以上、継続していくしかない 休みの日には自然を求めてキャンプへ出かけた 近畿圏をぐるりと巡り、どこかいい土地はないかと探し続けていた 感度の高い連中は奈良の方へ住み始めていた わたしは商売をして生計を立て

    • 一億の男

      4/26のGWが始まる前夜 20時位にカウンター越しに話し込んでいた ハイボールを3杯超えるあたりから友人は饒舌になった 一通り打ち合わせが終わった位で、いつも通りにとりとめのない議題で飲んでいた そこに別の友人が21時位に訪れて、その議題に溶け込んだ 議題は紆余曲折して、名著『失敗の本質』が引き合いになり小難しい戦略話になった そこに屋台街の店主も店を閉めて訪れた 小難しい話は続いていた 詳しい友人は話を横展開していた テンポをふざけるべきと思い、縦ラインを入れた 話は少し

      • Alien Mind Cafe あとがき

        現在2024年4月2日、あれからはんに会ってない はんが住んでいるゲストハウスは自宅の2軒隣で、職場は新世界市場の北側 生息範囲は一緒の筈なのに、まったく見ない いやーすごい防衛本能とステルス機能ですね もし何かが動き出すなら4年以上いるゲストハウスを出たら、おもしろくなると思っている いつになるのだろう? そこまでXデーに興味はないが、そこをクリアしないと話にならない はんのNEXTステージはどこに向くのか はんは寄生しながら甘えすぎている 2021年の年末にはんがゲストハ

        • Alien Mind Cafe#18 最終話

          ある人がこう言った 「はんさんって街ねこみたいな存在じゃないですか」 的をえている 12年間ずっとはんに投資してきた こんなに偏った稀有な存在もいない はんの世界観を世界に提示したかった その場所も条件も提供してきたと思う あらゆる事を試した できるだけ歩み寄ったはず はんが自身を超える瞬間を見たかった 立ち会いたかった 人が超える瞬間に立ち会いたいと思っている 超えた瞬間に新しい世界はバックリと開いている事に本人は驚く いかに自分の世界が狭かったかと思い知る そうやって切り

        マガジン

        • 新世界市場+小さな漁村=二拠点生活
          1本
        • 島猟師はるちゃん
          1本
        • へてへてはてる
          13本
        • Alien Mind Cafe
          19本
        • たま神さま
          9本
        • 沖縄拠点 HAPPY TUNA TIME
          1本

        記事

          Alien Mind Cafe#17

          わたしは結果論で攻撃したいわけではない 最高の時間を一期一会で共有するタイミングだったのにも関わらず はんの最上の音楽と言う世界で いつも通りやれればこんな結果になってない ただ事実は事実である 原因は完全にはんにある そこからもはんは何度も訪れては前回の弁解をしていた しかし原因は本人にある これ以上の事は出来ない わたしは後、数回この寄り合いを試してみて様子をみようと思った もうこれしかないと思っていた 例え2人の関係にクラックが入ろうとも、NEXTステージにベットした

          Alien Mind Cafe#16

          その音楽の寄り合いを数度試していた 参加していた友人の友人が隠岐の島からピカに来てくれた その寄り合いにゲストとして遊びに来てくれた これが本当に素晴らしい人物であった パーティーピーポーの最上位と言う感じであろうか その世界で経てきた事が、選曲にしっかり反映していた 全てが洗練されていた 非常に素晴らしい選曲であった 紹介した友人も負けじと自身の遍歴を通した選曲で対抗した 化学反応が起こりだしていた これならはんのパンドラの箱が開きそうだと感じていた わたしは場所の提供もし

          Alien Mind Cafe#15

          人間とは少しずつ侵食されていくものである わたしもはんとの時間に侵されていた 「これは流石に不味い」と思っていた このままだとわたしも持っていかれる 少しずつ流れを収集から開発の方へ以降していった ⚫︎150,000円で購入した、出番の少ない移動できるサウンドシステム ⚫︎膨大な時間を割いて溢れさせたSpotify ⚫︎何度も巡るレコード収集 ⚫︎10個以上ある高価な風鈴達 ⚫︎音楽と言う甘えた器 ⚫︎感度&感覚&スピ系 ⚫︎コロナウィルスの後遺症 ⚫︎はんとの関係性 ⚫︎発

          Alien Mind Cafe#14

          あまりやる気が出なかったがピカを開け続けていた はんに混ざりながらお客さんはチラホラ来るようになっていた 常連さんに5回来たけどやってませんでしたと言われた時は、流石に申し訳なかった ただ正直に言うと、わたしの心は完全にピカから離れている事を、日々店にたつたびに痛感していた 「生みの親の苦しみだ このカルマを超えなければいけない」 「あぁー損切りしてぇー」とグルグル頭をめぐっていた そこにはんの音楽概念も混ざっていった この国ではコロナウィルスは終焉したかどうかはっきり明言

          Alien Mind Cafe#13

          「この頻度はやばいな」 「座礁する可能性が高い」 週3位の割合ではんは来ていた 毎回同じ据えた匂いがする内容だった 1ヶ月以上、店も休業していたので客も離れていてピカは暇だった わたしは海外でのインプットを経て、次の動作の態勢に入りたかった そこにタメニタメタインプット過多が道を塞いできた 「邪魔するな」と何度も伝えた はんとは10年以上話してきた為、ほとんど理解している これが月1位の来店数なら、ほどよい距離感でいられるのだが、いかんせんはんにSWが入っていた 「これは困っ

          『PERFECT DAY』

          1月23日の11時30分にピカで待ち合わせして、京都へ向かった 寒波襲来と言う冷え込みでバッチリ準備したのに首元をおろそかにしてしまった 「あー首元大事アルネ」 「はるきー 今日はなんかお洒落やん」と言われた 梅田から北にいく場合はマユコのチェックが入り、それ相応のカッコで行かないと怒られると連れに伝えた 時間帯的に電車は混みいってなく2人とも座れて、最近の共通話題「PERFECT DAYS」の話で始まった 連れの男とは12年ぐらいの間柄である 12年ぐらいの間に出会ったであ

          Alien Mind Cafe#12

          2023年の夏は平日はキャンプ、週末は仕事と言う形で過ごしてきた ヨーロッパのバカンスの制度が素晴らしいと思っていたので、出来るだけバカンスに近づけてみた 週末は屋台街も7店舗稼働していて、いい流れで潮目が変わってきていた 屋台街は満員御礼だった ピカの軒先で燻製のスモークも売っても繁盛していた 屋台街は素晴らしかったが色々と規模が上がり、対応にかなりの時間を割いていた 母体がデカくなればその責任は当然わたしに来るので、通過儀礼と思い ストレスとも戦ってきた 9月の末、ずっと

          たま神さま#9

          少し寒くなりだしてきた頃、屋台も3店舗になりいい感じで屋台街も回り始めていた 初めてたま神はわたしに絡んできた 初対面の女性のお客さんにも絡みだして、流石に注意して帰した 本当に珍しい事だったので、少しびっくりしたがあまり気に留めなかった そこからすぐ、たま神は現れた たまに1人芸でやる、多重人格者の様な感じの流れだった いつもより登場人物がおおいいなーと思っていた 常連が何人かいた為、気にせず泳がしていた ただ2時間以上経過してもたま神は1人芸をやめなかった 常連の1人が「

          たま神さま#8

          淡路島で無人の餃子屋を8月にOPENさせた あわせて屋台の制作もしていた 母の49日も重なりかなり多忙だった 大阪に戻ってきてすぐに、たま神がいつも通りに、自分で焼いたたまご焼きを手土産にピカスペースに訪れた 2日に1回の割合で玉子焼きを持ってくるので、たまご焼き=たま神になってしまった。 店が忙しい時やイベント時には軒先で流しのたまご焼き屋をやってもらってる。 あれよあれよと9年位の付き合いになる。 たま神はここ半年ほど、膝を痛めて現場仕事に行けなくなっていた 固定収入の無

          戦勝国とDNA

          『戦勝国とDNA』 屈強なる戦士達の魂に哀悼の意と感謝を わたしたちは当たり前のように自由に奔放に世界を闊歩できている わたしは酒を飲みすぎる所があり、人に迷惑をかけてしまう事がある 体臭もあるしデコも広い なんとか克服したい所だが、酒でやらかすし体臭もきついままだ デコは母親そっくりだ 技術的に進化し、卵子と精子が着床してこことここは遺伝させないで取り除いてと言うオプションとか、逆に有料追加オプションとか 遺伝子組み換えを人間で出来る時代も、そう遠くはないのではないかとよく

          ピカソとダリとガウディと

          ジブラルタル海峡をフェリーで渡りスペインIN インフラ設備も整っていて綺麗な街マラガに宿泊 wikiで調べたところ、ここマラガはピカソが生まれた街 たまたまピカソの生家も近い、行くっきゃない あまり絵の世界に造詣が深い方ではない 人並み程度だと思う 好きな作風はヒエロニムスボスかダリ ピカソは名は知ってるがそこまで興味がなかった 友人達やまわりに絵描きはおおいい方だと思う その連中が描く絵を見ても、正直ガツンッとこない感じだった 絵画に対して私は不感症なのか? 数人ツンッと来

          ピカソとダリとガウディと

          がめつさとしたたかさとおしのつやさと

          シチリア島をフェリーで離れて、ナポリへ 6年前に行った海鮮レストランへ ここで刺身の食い方の概念を覆されたレストランだ 醤油で無くオレンジのしぼり汁で そして沢山のフルーツと共に刺身をいただく 相変わらず美味すぎる 北上してフィレンツェへ マユコがイタリア留学時代に世話になっていた、レティチアの家へ向かう 再会の乾杯もそこそこに大きな荷物を2つ預けて南下してローマへ そこから空路でモロッコに入った タンジェの街からすぐに移動 街と街の間は基本的に荒野か砂地で、少し緑がある場所

          がめつさとしたたかさとおしのつやさと