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たま神さま#8

淡路島で無人の餃子屋を8月にOPENさせた
あわせて屋台の制作もしていた
母の49日も重なりかなり多忙だった
大阪に戻ってきてすぐに、たま神がいつも通りに、自分で焼いたたまご焼きを手土産にピカスペースに訪れた
2日に1回の割合で玉子焼きを持ってくるので、たまご焼き=たま神になってしまった。
店が忙しい時やイベント時には軒先で流しのたまご焼き屋をやってもらってる。
あれよあれよと9年位の付き合いになる。
たま神はここ半年ほど、膝を痛めて現場仕事に行けなくなっていた
固定収入の無いたま神は空き缶や鉄屑類のスクラップを売り払い、たまにうちでたまご焼きを捌いて現金収入を得ていた
かなりギリギリな生活だと思っていたが本人は陽気に振る舞っていた
9月の末から新世界市場屋台プロジェクトが稼働した
2台の屋台を稼働させた
100人近い面接をわたしがして2人を選んだ
屋台は少しずつ盛り上がってきていた
たま神も屋台街のマスコットキャラの様になり、たまご焼きを売り捌いていた
たま神は楽しそうにぴょんぴょん跳ねていた
ある時、たま神はコロナ期の10万円の一律支給をかなり遅めに支給されたと言ってきた
福原のソープ街に行き3Pをしてきたと、全部使っちゃいましたーはるきさんと笑顔でやってきた
流石だなー
『宵越しの銭は持たない』
西成人気質をたま神も継いでいた
大体はわたしのお金で焼き鳥を食べたり鍋をつついたりして、たま神と過ごしていた
パンチラインの様なファッションで現れては笑わしてくれた
たま神との時間は何の生産性も無いのだが、ただただ穏やかな時間を共有できて好きな時間だった
ただちょうど良い塩梅にはならず
週に10回以上現れるのだった

続く

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