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新世界市場+小さな漁村=二拠点生活#1

新世界市場に流れて12年が経過した
いつぐらいからだろうか?
色々な事柄やしがらみ、猥雑な大阪新世界と言う生活環境
あらゆる人種と人間が往来するイマジネーションピカスペースの日々
去来する人、人、人。
新しい発見も見出せず、少しずつ心が擦り切れていた
ただこれで飯を食っている以上、継続していくしかない
休みの日には自然を求めてキャンプへ出かけた
近畿圏をぐるりと巡り、どこかいい土地はないかと探し続けていた
感度の高い連中は奈良の方へ住み始めていた
わたしは商売をして生計を立てている以上、ど田舎でと言うわけにはいかない
ある程度栄えた、商売が出来る田舎を探していた
そして誰も知り合いのいない、新しい土地を探していた
それはどこなのか?
穏やかな田舎は多々ある
商売も出来てこれから先の可能性もある場所
ちょうど3年から4年位前にその土地を見つけた
『淡路島』である
淡路島はここ数年で再開発が進んでいる
元々、潮風が厳しくて地元の人から敬遠されていた、海沿いの西側の地域が特に目覚ましい発展を遂げている
巨大資本とは恐ろしい
これは間違いなく黒船来航だと感じた
今まで通り、何もかも処分して土地を変える事は可能だった
ただ今現在、12年近く活動して形になりつつある新世界市場&ピカスペースは残すべきだと考えていた
わたしも経営者になったのだろうか
少し時間はかかるが、淡路島二拠点生活に移行する為に、準備をして動き出した
丁度コロナ時代も到来して、全世界にストップがかかった時だった
これは最大限に活かせるチャンス到来だとわたしは確信した
まずは商売からだろうと思い
淡路島の伊弉諾神宮の近くの車庫に、餃子の無人販売所オープンさせる方向で動いた
当時、コロナ時代は無人販売所が流行っていた
流行っていたからしたのではなく、無人だと店に立たなくてもいいし、人件費もいらない
経費がそこまでかからないと言う軽い算段だった
毛色を変えるため、淡路島は獣害被害が多かったので猪と鹿を材料で使ってジビエ餃子にして、2022年3月に淡路島に移住する参謀の嫁をブランディングした
当時、ジビエ餃子はほとんどなかった
まず移住して何をやろうかと考える移住者はおおいいと思う
わたしは移住した途端に、若い夫婦が商いを始めた方がパンチがあると考えていた
何度も淡路島に出入りしていて、島特有の閉鎖感を感じていた
スーパーの野菜の生産者の顔が見えて安心して購入できるように、顔が見えてる方が島では認知され生きやすいのである
3児の母のはるちゃんは、猟師になって淡路島の玉ねぎと猪で餃子にしてみた
獣害被害で困っている人々も喜んだ
淡路島を元気にしたい
こんな感じのブランディングである
他にも無人販売所を空いている車庫などを利活用する、体内めぐりを作り店内は神社をモチーフにして派手に、食材は淡路島産にこだわり地産地消を促した
何層にも仕掛けを重ねて、どこかが引っ掛かる様にした
はるちゃんは陽の人間だったので、はるちゃんと言う3児の主婦が売れた
結果、人売りの方が成功した
まずは淡路島全体にはるちゃんの顔が売れた
これで空き家の話もグッときやすくなる
何度か空き家が出てきて見に行ったり交渉したりしていた
当時あまり焦ってはいなかったが、わたしたち的には山間のポツンと一軒家を探していた
島ぎょうざはるちゃんでも収入を得ることが出来たが、もう少し別件からの収入が欲しい
新世界市場屋台プロジェクトを同時進行していた
ざっくり言うと新世界市場に屋台8台稼働させて、シャッター商店街と衰退する屋台を掛け合わせての町おこしのモデルケースの発信である
少々骨が折れたが参謀と協力して、そこから不動産収入を得ることが出来た
ピカスペースをしなくてもある程度の収入が見込まれた
そこで最終的におざなりにしていたピカスペースのテコ入れを、現在進行形でしている形である。
本来なら損切りしてもいいと思っている
生みの親の苦しみか、もう作れない本当に面白い店だと思っている
わたしの最高傑作である
ピカスペースは愛されている場所だと思う
そう言う人達の為に残してあげたい
淡路島に移住したはるちゃん夫婦はかなりのやり手で、すぐにゲストハウスをOPENさせた
OPENして1年で集客も8割以上確定している
流石、参謀、優秀である
島ぎょうざの店主はるちゃんは、1年程であらゆるメディアに取り上げられ島民の4割以上が認知していた
はるちゃんは元気いっぱいの為、色々な層から支持された
子育て世代の主婦の代弁者の様な立ち位置も確保した
狙い通りだ
そして2024年2月に淡路島の観光アンバサダーに就任した
これは予想外である
その間も移住したはるちゃん夫婦はわたしの願いを叶えようとしてくれて、淡路島で物件を探しまくっていた
はるちゃん夫婦には感謝しかない
ありがとう
ここまで来るのに3年近く経過していた
その間もわたしの心は淡路島に向いていた
その為に頑張ってきた
屋台街も上手く行き出し、もういいかなと思い始めていた
多少強引に物事を進めるのもありかと考えるようになった
わたしはマユコとの時間、自分達の人生を大事にしたいと思い始めていた
自分達がしたい生き方をするべきだと考える様になった
わたしは12年間、新世界市場に住んでわたしのアンサーが屋台街だったと帰結させた
出店者もお客さんも皆が楽しそうだ
商店主も喜んでくれた
皆が笑顔で乾杯している
新世界市場は活性化した
この文化が広がれば良いと思っている
淡路島で滞在型市民農園の募集が始まり、現状の収入でもいけると思い安易に応募した
きっかけが欲しかったのだ
抽選になり結果はダメだった
その日、1つの物件が出てきた
参謀はすぐに見に行ってくれて
「はるきさん 探してた物件とだいぶ違いますけど、今までの中で一番いいと思います」
参謀の感覚を信用して、わたしは翌週見に行った
淡路島は一周した時もあるので、知らない土地はないと思っていた
「五色あたりがいいなぁ」とうっすら思っていた
まったく知らない『小さな漁村』だった
築100年の物件だった
目の前は海だ
徳島が見える
わたしは気仙沼と言う港町生まれだから、海が当たり前だった
海に対しての憧れもさほどない
津波の方が心配だ
「漁村か‥」
考えてもいなかった方向だ
わたしは漁村にしばらく佇んでいた
瀬戸内海の潮風が吹いて、柔らかくわたしを後押しした
「Shall We Dance?」
頭の中に多面的なイメージが湧き上がってきた
末広がりなVISIONが何層にも重なり、共鳴し誘ってくる
イマジネーションの波だ
こうなると大概の事は上手くいく
ワクワクした
山間のポツンと一軒家では無いが、これはこれで面白そうだ
賽は投げられた
次の戦は小さな漁村から
新世界が広がっている
「はるきー!!」
「待たせたなー!!」
「出陣じゃぁ!!!」

続く

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