【おはなし】 ゆみの静かな冒険⑤「停止ボタン」
「時間を止めているんだよ、私は」
図書館のお姉さんがゆみに語りかけている。彼女の名前は「リエ」という。場所は図書館の屋上にある公園。ふたりはベンチに座ってお弁当を食べている。
「ほら、当たり前だけど時間を止めることはできないよ。私にできることはせめて時計の電池を外すことくらい。だけど時間の流れを緩やかにすることはできる気がしているんだ。私がずっと同じマンションに暮らしているのもそうだし、同じメイク道具を使っているのも、同じ場所で働いているのも。毎月決まった雑誌を購入して休日に紅茶を飲みながら読むのも。読み終えた雑誌を本棚に収納すると背表紙が並んで見えるのもそう」
「でも」
「黙って! 私が話しているところ」
「あ、ごめんなさい」
「それでね、なんだかんだ私は悪あがきをして毎日を生きている。32歳。もう若くはない。40代50代に比べるともちろん若いけど、私より年下の例えばゆみちゃんと比べちゃうともうおばさんなんだって苦しくなるんだ。私がどれだけ時間を緩やかに進めようと努力しても変わらないんだよ。時間の流れはみな同じ速度で進んでいる。錯覚として個人個人に違いを感じることはできるけど、例えば昔からの友人の結婚式に招待されると強烈に思いだしちゃうわけ。私の止めてる時間とは別にまわりの世界は前に進んでいるんだなって」
リエは一呼吸おいてゆみを見る。だけどゆみは気づかない。
「も〜っ、今ここでゆみちゃんが短く感想を述べるところなの。わかってよ!」
いや、全然わかんないし。ってか、リエちゃん怖いんですけど。とゆみは心の中で発言してから言葉に変換する。
「えっと、わかんない」
「ありがとう。それって、わかんないっていうのは理解しようとしてくれているってことで受け止めるね」
「うん、そんなところです」
「ねえゆみちゃん。私には敬語使わないでほしいな。いきなりは難しいと思うんだけど、徐々にでいいからもっと軽い感じで話してほしい。できたらでいいよ」
「そうする」
「ねぇ、そのたこさんウインナーと私のから揚げ交換してくれない?」
「いいよ、わたしから揚げ好きだから」
「じゃあ、決まりね」
ペースの違うふたりはお弁当を通じて繋がり始めている。
お昼ご飯を食べたゆみは時間について調べている。リエが言った個人の感覚と錯覚について自分なりに調べてみたい。いくつかの本を選んで席に運んでパラパラと流し読みをする。文字とイラストのいい塩梅の本をじっくりと読むための選択時間。
『もっと知りたい科学入門』がイラストも多くてゆみには読みやすい。外国で発売された書籍の日本語版。生物、化学、物理の三部構成になっている。
心理学の本も必要かも。
感じ方が個人の感覚によるものであるなら心理面の理解も必要になる。自分の内側の世界と外側の世界。フロイトやユングという名前は聞いたことあるけど、なんだか難しそうな響きがするので怖いかも。
ゆみは恐る恐る心理学のコーナーに行き読みやすそうな本を探していると見つけた。
『そんなゆみにでも分かりやすい心理学の本』というヘンテコな名前。明らかに誰かのいたずらであることは間違いない。でもいったい誰が私に向けてメッセージを発信しているのだろう。
「ん〜、なんだか不思議な気分だけど、せっかくのご厚意ですからね。この本持って行きますよ」と小さな声でささやいてゆみは本棚から本を抜き取る。
「お礼を忘れてるぜ」
本棚に開いた空間から声が聞こえる。見つめても何も見えない。でも声が聞こえたからちゃんとお礼を言わなくちゃ。
「ありがとう」
「ございますだろ?」
「そっか。ありがとうございます」
「おうよ」
このひとにはタメ口はダメなのね。姿を見せてくれたタイミングがタメ口解禁の合図かしら。誰だか分かりませんけど、感謝しておきますよ。とゆみは心の中でつぶやいて席に戻った。
つづくよ
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