見出し画像

このタイミングでカナダ その2

写真は飛行機の中で撮ったもの。昔から飛行機のルームライトが好きなんです。
それもあって夜のフライトは少しだけワクワクする。夜景も自分の顔が窓に反射して現れなければうっとりで最高。以上。

前回の記事では未遂に終わった海外留学のことを書いた。今回はその後社会人になった私の話を書く、第一回会社辞めたい期間と、うつ病疑惑が出た時の話。カナダ行くの決めたとこまで行き着きません。すみません。

<社会人になって>

8年前の4月、晴れて社会人になった自分は、東京を本社とする製造メーカーの広島の事業所に配属された。配属されたといういうよりは、自ら現地採用を選んだ。
現地採用のメリットは、転勤がなく、その事業所にずっといれるということ。デメリットは出世が本社採用の人たちと比較し遅い、また給料も少ないということである。

地元も中国地方にあることから、いろんなことを考えていたか考えてないのか分からないが、現地採用の選考試験を受けたのである。
実際、本社採用だとこの僕の能力ではどうあがいても内定をもらうことが出来ないと判断し、現地採用ならなんとかなるだろうという考えの元であった。浅はかでしょう。

・初任給の支給日が遅かった
最初の一ヶ月は新人研修。楽勝だった。同期とふざけ合いながら講義を受け、これでお金がもらえる。社会人生活、様子すぎると思っていた。
唯一の苦しかった点は初任給が5月20日支給だったということ。入社祝金で3万円頂いたが、とてもじゃないけど足りない。結局親に借りた。

初任給で親に何か買ってあげたりする人が沢山いると思うが、自分は何も渡せなかった。それどころかお金を借りた。バカ息子、制裁を受けるべきである。
流石に何もしないのは悪いと思い、夏の寸志ボーナスで牛肉をプレゼントした。
焼肉をご馳走したのではない。BBQ用の肉の費用を補助したのだ。和牛券の流行る前の話である。

初任給では一万円ぐらいのAudio Technicaのヘッドフォンを購入した。
広島PARCOの島村楽器、自分のiPhoneでその当時僕の心を掴んでいたNOTIMEFOR の666という曲を再生し、各々のヘッドホンを吟味した。

しかし音の良し悪しが分かるほどの人間ではないので、最終的には"安くてベース音がヤバいのはどれですか?"と店員さんに質問し、お勧めされたものを購入したのである。

ちなみにこのNOTIMEFORはイタリアはミラノのポップンパンクバンドであり、666という曲は2011に出たHappy YouthというEPに収録されている。
この曲で初めてPMAという単語を耳にした。

Positive Mental Attitude

覚える必要はないが、ハードコアよりも先にポップパンクでこの言葉に出会っていた。多少青臭さを感じる部分もあるが、今でも自分にとっては大事な言葉であることには変わらない。

・大人になった話
実はここだけの話ではあるが、ヘッドフォン購入のために島村楽器に行く前、一万円札を握りしめウキウキで広島の街に繰り出し、人生初の濃厚接触サービスを受けた話がある。

あの時の緊張感は今でも忘れない。初めての待合室。作業着やジャージのおっさん3人が漫画を読んでいた。番号が呼ばれるまでの時間、なんなんだこの空気感は、落ち着かない、入社面接よりドキドキする…

ソワソワしつづけた。その後待つ事数分、携帯を触ってたら名前を呼ばれた。通された薄暗い部屋には"本番行為は100万円の罰金"と壁に貼ってある。恐ろしいところに足を踏み入れてしまったと思った。もう後には戻れない。

サービス内容は割愛する。良いPhotoshop職人を起用したお店だ。

45分後に店を出て街を歩く。一万円の限界の時間。大人になった気分だった。カラスの鳴き声、春の終わりを告げるような肌寒い風、飲食店の排気の匂い、全てが心地よかった。友達も全然いなかった頃であったため流川に知り合いなんていなかった。肩で風を切って歩いた。

帰りに食ったラーメンも美味かった。

<これが社会人か>

そんなこんなで時は経ち、6月には本配属された。ここからが本当の社会人生活の始まりであった。

自分が配属されたのは技術関係の部署であり、主に操業改善、新技術の開発など、でかい金を生み出すような部署であった。

先輩方は華やかな学歴の方が多く、頭の良さも比にならないぐらいスマートだった。何かの手違いで僕はエリート集団の部署に配属されたのである。同期も驚いていた。”お前が?”って。失礼な奴ら。だけど今でも大好きな同期達です笑。

その中で仕事をしていったが、やはり自分には辛いことが沢山あった。全然収まらない製品不良問題や、それによる原価大赤字。最初の頃は色々サポートも受けてなんとか頑張ってたが、途中からだんだんとしんどくなってきた。残業も多かった。

それに途中から本社採用の同期との給料の差を痛感したということもあった。一年目で約5万ぐらい給料に差があった。

まあ院卒の人もいるから仕方ないと思いきや、社会人2年目になって入社してきた後輩よりも給料が少ないと気づく。
まあそれもしゃあなしかと思っていた。

たまたまそのことを人事の同期に話すと色々調べてくれて

”俺も今知ったけど、6年目の俺らの給料とその時の1年目の子らの院卒の給料が同じぐらいで、階級も3年後ぐらいに抜かれるよ!みてはいけないものを見てしまったね!”と答えてくれた。

その数ヶ月後、その人事の同期は退社した。なんかごめん。

<第一回会社辞めたい期間〉

他事業所の偉いおじさんは、”技術職は唯一この会社で失敗が許される職種、経理や品質管理はミスができない。顧客や行政に話が行くからだ。君たちは沢山失敗しても、最終的に技術を確立すれば良い。何度もトライしなさい”

この言葉に感銘を受けた訳ではないが、なぜだかずっと忘れられない。しかしその時には既に僕には高みを目指す志はなく、暇さえあれば転職サイトを見ていた。

それが社会人2年目の冬ぐらい。こんな生活がずっと続くのか?プライベートは楽しいことばかりだけど、週5で地獄!死にてえ!なんてことをよく言ってた気がする。

・会社をサボってしまった話
予算シーズンで多忙を極めていた頃があった。毎日夜中まで残り休日も出勤した。2年目だからもうひとりで色々やらないといけない。ある日、最終的な予算資料が朝の6時に完成した日があった。

一旦家でシャワーを浴びてまた出社しようかなと思ってたが、家に帰る途中、出勤してくるサラリーマンや通学している学生を見て、なんで俺はこの時間に帰宅してるんだよ!と底抜けの怒りと不甲斐なさがこみ上げてきた。
全部どうでもよくなり、帰りにコンビニでカツ丼を買い、帰宅後8時に上司に電話をし、今日は会社を休みますと伝えた。

サボったのだ。

その時のカツ丼の美味さたるや。

気がついたら次の日も同じように朝上司に電話をし、会社を休んだ。
もうこのまま飛んでしまおうかなとも思った。

そうこうしていると先輩から連絡があり、晩ご飯でも食おうとの誘いが来た。気まずいけど気にかけてくれたことが嬉しくて快諾した。

初めて行く居酒屋で会食、みんな死ぬほど優しかった。人に迷惑をかけたこと、逃げ出したことがすごく歯がゆく思えた。その日は金曜だったから、月曜には会社に行こうと思った。

・精神を病んだのかもしれない疑惑
日曜の夕方、明日から仕事か、頑張るかあ!と思っていると、今まで経験したことのない吐き気を感じた。ダッシュでトイレに行き、その日は何度も吐いた。夜も眠れなかった。

"俺ってまじで病んでんのかな、これが鬱病ってやつか"と思った。

結局月曜日も会社に行けず家で苦しんだ。流石にやばいと思い病院に行った。精神科に行けばいいのか?色々考えたが取り敢えず普通のクリニックに行った。

診断結果を待った。自分はこれからこの病気と向き合って生きていかないといけないのかと思った。そうしていると先生に呼ばれた。

診断結果:金曜に居酒屋に食べた生牡蠣が原因のノロウィルス

生まれてこの方牡蠣に当たったことがなく、こんなにも苦しいとは思わなかった。ネタとして鬱病を引き合いに出している訳ではなく、まじでそう思っていたのだ。

診断結果を先輩に電話で相談したら、”とどめをさされたね笑、すまぬ。みんな君が病んでると思ってるけど、牡蠣にやられたって伝えとくわ”

その後さらに数日休んで、出社した。みんなすごく優しかった。
しばらく牡蠣が食べられなくなった。とりあえず仕事は続けた。

これが第一回目会社辞めかけたお話

写真は岡山のダントツラーメン。

完食は、一番身近なエコロジー!

この張り紙を店内で見ながらまたラーメンを思いっきり食べたい。

NOTIMEFOR - 666
https://www.youtube.com/watch?v=t5O8EN5VL98

それではまた。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?