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♉短編小説 | 占い師♊

(1)

 長い冬が終わりに近づき、春を感じ始めた頃、私は、ポカンと、公園のベンチにすわっていた。
 あたりの景色が、春めいているのに、私の心の中は、寒空のまま。相変わらず。結局私って、なにもない人間なんだなぁ。真剣に悩むのでもなく、ただボンヤリしていた。

(2)

 なにもなくても、生きていかねばならぬ。なんの指針もなくとも。ただ、海の上を、ずっと漂流し続けているわけにもいくまい。そろそろ陸地に漂着して、地に足をつけて歩まなければ、この広い世の中で、ずっとポツンとしているだけだ。

(3)

 人間は、ひとりでは生きていけない。しかし、人間は、自分が大海の中の一滴に過ぎないと思ったり、大きな機械の歯車のひとつに過ぎない、と感じても生きてはいけない。

 アトムになろうか、モナドになろうか。

 難しいことは知らない。ただ、私という存在が、唯一無二の独立した存在として、緩く他人とかかわっていくには、どうしたらよいか。そんな考えを弄んでいた。

(4)

 私にはなにもない。ただ、幸いなことに、見ることのできる両目と、聞くことのできる両耳は持っている。
 今の私にできること。それは、他人の瞳を見つめながら、他人の話に耳を傾けること。それしかなかった。

(5)

 私は公園のベンチにすわったまま、今までは見過ごしていた、目の前を通りすぎてゆく人を観察し始めた。
 黙ったまま、夫のニ三歩あとをついていく老女。友だちと全速力で駆け抜けてゆく子供たち。お母さんと手をつないで、ニコニコしている男の子。下を見つめたまま歩く壮年の男。
 ただ、ぼーっと眺めているだけでも、気持ちが聞こえるような気がした。

(6)

「すみません、ちょっといいですか?」

ある日、私は見知らぬ男性から声をかけられた。

「ちょっとだけ、話を聞いてもらえますか?」

話を聞くだけなら、と思い、瞳を見つめながら、男性の話に耳を傾けた。

「あの~、人生ってむなしいですよね。一生懸命に働いたって死んでしまいますし、僕が生きているだけで、迷惑に思っている人もいると思うんです」

(7)

 話をただ聞いているだけ、と思っていたが、私は、思ったことをそのまま口にしてみた。

「人生なんてむなしいものですよ。生きているだけで、他人の迷惑になるものなのです。なにかをやって失敗すれば、他人の足手まといになります。なにかをやって成功すれば、誰かを蹴落としたことになります」

(8)

「生きているだけで他人の迷惑になるのならば、いっそ死んだほうがいいんですかねぇ?」

「ははは。急に死んだら、それが一番迷惑ですよ。どうせ、人間なんて早晩死ぬんですから。寿命に身を任せてみてはどうでしょう?」

「ははは。それもそうですなぁ。こころを入れず、ただ生きているだけっていうのもいいですなぁ」

「そのとおりです。人間以外の動物なんで、その日なにを食べるか、どのように子孫を残すか、ということを本能的におこなっているだけです。でも、それだけ満たされていれば、とても幸せそうですよね」

(9)

 公園のベンチにすわって、ただ人の話を聞いて、それにこたえるだけの生活が30年以上続いている。
 ということは、最初に私に話しかけた男性と出会ってから、30年以上過ぎたということか?
 この木製のベンチも、だいぶ朽ちてきた。いつまで、私という重荷に耐えられることやら。しかし、人間の悩みはいつもいつも変わらないね。そして、私が占ったとおり、今はもう、最初に私に話しかけた男性は、寿命を全うし、もはや、この世にいない。



おしまい

フィクションです💗

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします