小説 | 紙と鉛筆(最終話)
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紙と鉛筆 (最終話)
いよいよ、ブログサイト文学賞応募の締め切りの夜が近づいてきた。応募数は過去最多になるらしい。これだけ多いと、審査員ですら、まともに全部の応募作を読みきることは出来ないだろう。「すべての作品を拝読しました」とかいう審査員も出てくるだろうけれど、それはウソ。字面を見ただけに過ぎない、きっと。
ブログサイト文学賞に限ったことではないが、応募作をすべて読んでいる審査員なんているんだろうか?
いちおうは、最初のパラグラフくらいには目を通すだろうが、最初から最後まで精読することはないだろう。
古典的な名作ならば、読んでいてわからない箇所に遭遇したら、言葉の意味を調べたり、どういう意味なのかと深く考えるだろう。しかし、名もなき一般人の書いた小説など、一読して意味がわからなければ、心の中で「下手くそで分からん」「先を読むのはやめよう」と言って、それ以降の文章には目を通すことすらない。それが自然と言えば自然だろう。
良くも悪くも現代小説は、大衆化している。商業化している。早い話が、どんな名文であろうと、虚心坦懐に読めば不朽の名作に匹敵する作品であろうと、売れなければ「駄作」の謗りを免れない。
私には優れた作品ならば、いつか世に出て多くの人に読まれるのだろうという、信念のようなものがあった。
しかし、これだけ娯楽や趣味が細分化して多様化が進んだ現代において、そのような私の信念は、虚構に過ぎないことだろう。作家は優れた作品を書いていればいいという時代は終焉をむかえて、モノを書く者は「どうしたら売れるのか?」というマーケティングの知識も持たなければ、どんな名著であろうと自然に売れて、後世まで生き残ることは出来ないのだろう。
たかがブログサイト文学賞に、私はいったい何を期待しているのだろう?
ブログサイト文学賞なんて、悪く言えば「町内カラオケ会」。良く言っても「のど自慢」の特別賞みたいなものではないか?
だいたい誰がとるのかなんて、明々白々じゃないか!
小さな子供か最年長の老人が、お約束通りに受賞する。ブログサイト文学賞なんて、そんなもんさ。
さあて、誰がグランプリをとるのかな。予想は簡単だ。主催者も審査員も、フォローやフォロワーは極端に少ない。だいたいこの辺の人がグランプリをとるんだろうな。
主催者及び審査員のフォローしてる人か、フォロワーの中から必ず選ばれる。それか、安全策をとって「○○大賞」の1次審査を通過した人とか。
それ以外の人が受賞するとすれば、応募作の中で、「いいね」の数が下から数えて20%の作品の中からきっと選ばれる。かつてあった「句会」と同じように…
それにしても、あの審査員はなぜ私のことをブロックしているのだろう?
今までになんの交流もないのに。
まぁ、どうでもいいか。メンヘラ審査員なんて…
なぜ私は書くのか?
書きたいことを書くだけ。理由なんていらない。
私はこれからも、心から書きたいと思ったことを書き続けるだけだ。
…「紙と鉛筆」終わり
「紙と鉛筆」は、こちらのマガジンに全話収録しています。
この物語は、フィクションです。実在のブログや文学賞とは、一切関係ありません。
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