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早期英語教育の唯一の利点?! - 純ジャパで一番苦労したこと

みなさん、こんにちは。

本日は英語を子どもに学ばせるならこのスキルだけで十分?!と僕が感じたものの話をします。

※ 科学的根拠はありません! 純ジャパとして中学から英語を勉強をし始め、そののちアメリカの大学院に留学した僕の個人的感想です。

そもそもこれから英語は必要なの?!

日々状況が変化する世界の中で言語の役割も変化を遂げています。

ますますグローバル化していくなかで英語は必須であるという意見がある一方、AIの登場でもはや英語学習の意味などないといった意見も聞かれます。

少なくともあと数年くらい(?)は英語の需要はあるのでしょうか…

技術的にはAIでまかなえても、人間とは不合理な生き物なのでそんなにすぐにAI社会に適応できるかは少し疑問が残ります。

僕がアメリカで感じたことのひとつに、「アメリカの人は目の前にいる人が英語が堪能かはそれほど気にしていないけれど、目の前にいる人は当然英語を話そうとする心持ちがあるにちがいない」と思っている人が多いということがあります。

日本では、外国人に話しかけられたとき、英語が苦手もで身振り手振りを交え英語で会話しようとする人は少なからずいると思います。

そもそも、日本に来ているのに当然のように英語で会話を始める外国の方は多いです。

アメリカでは身振り手振りを交えて優しく話してくれる人は結構少ないというのが僕の印象です。

「あなたが当然英語を話すよう心がけるべきでしょ」という意識すらなく、それが当たり前だと思っているのではないかと感じていました。

アメリカには英語が話せない人も多いのですが、このような印象を受けました。ここでいう英語が話せない人とは留学生や仕事で来た外国人だけでなく、アメリカ国籍を持っている移民やその家族も含まれます。「アメリカ人」というステータスを持って英語が話せない人は少なくないのです。

アメリカが世界で大きな力を行使する状況はもう少しくらいは続きそうです。その限りにおいて、アメリカ式のコミュニケーションが世界全体に影響を与える可能性は低くありません。

そうなると、僕はアメリカの人がAIを介して会話するなどという面倒なことを受け入れるだろうかと思うのです。技術が発達したかではなく、結局は影響のある存在がそれを受け入れるかにかかっているということは現実世界ではよくあることです。

とはいうものの、ここ数年だけでも世界は本当に驚くほど変化し、「そんなことありえないでしょ!」、「そんなこと誰もうけいれないよ!」ということが現実になってきたので、AIを介したコミュニケーションもどうなるかわかりませんね。

それはそれで楽しみです! なぜかというと、純ジャパの僕はどれだけ努力してもネイティブと同等に会話など一生できないからです。

それなら、いっそのこと無理せずAIを使って楽しく会話してみたいと思うのです!

アメリカの大学院で一番困ったこと

純ジャパの僕はかなり苦労しながら英語を勉強しました。

もう10年以上英語を勉強していますが(最近はそんなにしてないか…)、完璧には程遠いどころか、「自分の英語力はこの程度のことにも対応できないの?」とがっかりすることの方が多いです。

アメリカ滞在中もいろいろなことに苦労しました。

あるあるエピソードとしては電話で緊張してうまく話せないというもの。もともと電話嫌いの僕ですが、英語での電話など本当に最悪でした。声もちょっと聞き取りづらいし、相手の顔は見えないし、話すタイミングもつかみづらいし、2度としません!

ネイティブの高速会話についていけないことももちろんありました。1対1だと相手はこちらの英語力に多少合わせてくれますが、それ以上の人数で特にネイティブが複数いると自然と彼らのスピードになってしまい、僕はあんまり発言しないという状況がよくありました。

そもそも、僕はグループでの会話に積極的でなく、日本語での会話でもあまり参加しないのですが…

とはいうものの、英語というハンデを背負ったらますます話さなくて、他の人が???と顔をしていたことも何回かあります。

さて、いろいろ困ったことのあったアメリカ生活でしたが、一番キツいと思ったのはリスニング力不足です。

基本的に、講義を聞くことに問題はありませんでした。先生は多数に話しかけていることを意識していますし、フォーマルな話し方、もしくは、あまりにカジュアルになりすぎない話し方をしてくれるので、とても聞き取りやすいのです。

それに対して、ネイティブのカジュアルな話し方には戸惑うこともありました。とはいうものの、もちろん話し方はそれぞれなので人によって聞き取りやすさはかなりちがったのですが。

例えば、僕のアメリカ人の友人の一人は本当にきれいなアメリカ英語を話す人で、カジュアルな場面での英語もお手本教材化のように聞き惚れる英語でした。

話すスピードは決してゆっくりではなかったのですが、それでも聞き取れない部分もなく、聞いていて「なるほど、ネイティはこれをこんな表現で言うのか! 次からマネしよ!」と思える余裕がありました。

しかし、少しでもそのようなお手本のような英語でなくほんの少し訛りがある英語だったり、環境が変わったりした途端に聞き取るのが大変になることがありました。

例えば、大勢の人がグループに分かれて会話して、部屋全体が騒々しいとき。小グループの会話はだいたいスピードが速いうえに、部屋全体のノイズのせいでまったく何を言っているかがわからなかったときもありました。

イメージで言うと、電車の走っている線路の間際で会話しているような感じです。たとえ日本で会話していてもそのような状況だと相手が何を言っているかわからないと思うのですが、それが目の前で起こっているような状態でした。

みんなが聞こえてないのであればいいのですが、おそらく英語に慣れている人は聞き取れていて普通に会話していたので、気持ちが焦って汗が出てきてしまいました。

思い返すと、向上させるのに一番困ったスキルはリスニングだったと思います。

英語を勉強し始めて以来、どこかで英語が流れていたら耳をすませたり、YouTubeが普及してからは時間があればとにかくネイティブが話しているのをずっと聞いたりしていました。

しばらくすると日本で売られている英語リスニング教材は簡単すぎるけど、アメリカのドラマはまったく半分くらいしか聞き取れないといった状況になりました。

これはあまり意識されないかもしれませんが、英語力向上を妨げる要因のひとつは自分の能力にあった適切な教材が見つからないことです。

「こっちは簡単すぎるし、こっちは難しすぎる…  この中間のちょっと簡単めが欲しいんだけど…」ということがよくあったのを覚えています。

リーディングはレベル別問題集が多くあって、順番にこなしていくという選択肢もあったのですが、なぜかリスニングはそのようにできなかったのを思い出します。

YouTubeでもたくさんの動画を開いてはレベルが合わず閉じを繰り返しました。その意味でリスニング力はなかなか伸ばせませんでした。

もちろんスピーキングでスラスラ言葉が出てこなくてフラストレーションがたまったことは数え切れないのですが、それでも簡単な言葉でゆっくり話すトレーニングを続けると言いたいことの70-80%くらいは伝えらるようになりました。もちろん100%はとても無理なのですが…

この経験からどうしても英語教育を早期からしておきたいなら、リスニングだけやっていればいいのではないかと思っています。

脳が柔軟でいろいろな音を拾える間に英語を聴かせれば、英語独特のリズムや日本語にない音を拾えるようになり、あとはアメリカのドラマでも見せておけばそのままリスニング力を維持できると思います。

僕の知人の一人にアメリカからの帰国子女がいるのですが、彼女の親は全く英語教育に力を入れておらず、彼女は日本に帰国後に全く英語がはなせなくなってしまっていました。

しかし、何もしなくても英語はスラスラ聞き取れると言っていました。こんなに聞き取れるのに話せないのが不思議!笑 と言っていたのが印象的でした…

話が聞き取れないと会話にもならないので、どうしても英語のスキルをひとつだけ早くから身につけようと思うのであれば個人的にはリスニングをおすすめします。

そもそも、英語を子どものころから勉強させるべきなのかはいまだいろいろな意見があるとは思いますが…

英語の早期教育は必要なのか?!

これからAIが発達しても、それでも英語を子どものときから教えたいという人は多いようです。

そうすれば流暢な英語が話せるようになるし、将来の幅も広がると思う人は多いと思います。

しかし、本当にそうなのかは考えなければなりません。

よく言われるのは、幼少期に2つ同時に言語を学ぶと言語発達に弊害が出てしまうということです。

つまり、どちらの言語も中途半端になってしまうというものです。

僕は個人的にはこの心配はあまりしていません。僕の知り合いの帰国子女の人を見ていてもこのパターンはほとんどいません。

どちらかの言語がかなり強く、とても両方同じくらいにはなりませんし、年齢が高いのにまるで子供のような話し方をしているという人も会ったことがありません。

(ここでいう「年齢が高い」はすくなくとも中学生。ちゃんと相手によって話し方を変えたり、敬語で話したりしています。)

普段の話し言葉は問題なくても抽象的な考え事ができなくなるという声もありますが、結局どちらかの言語が強いのでそちらの言語で考え事をすることになるのではないかと思います。

この意味では年齢2桁になってから留学に行くのとあまり変わらないかもしれません。

僕の知人の中に数人だけ両方の言語を読み書きのレベルまでネイティブ並みに使える人がいますが、正直なところ、その人たちはそもそも地頭がいい人です。そして、親もさながら本人が両言語の維持のためにとんでもない努力をしています。残念ながら、親が懸命に学ばせようとしただけでは両方の言語がネイティブのようにというのは現実的ではないと思います。

(それでも彼ら曰く、どちらかの言語の方が強いとか…  こちらが聞いていたらほとんど気づきません。)

そして、あまり意識されないかもしれませんが、幼い頃に英語に触れさせたからといって英語がそのまま上達するわけではありません。生まれたときから英語圏育ちなら話が別かもしれませんが、小学校に入って数年経ってから英語圏に引っ越しても全くネイティブのようになれないどころか、日常会話にも苦労するというひとも現実には少なくありません。

さらに、話し言葉は流暢でも読み書きはまた別の話。日本の小学校で習う基本文法を理解できていない人というのは実は少なくありません。海外の学校ではしっかり文法を教えないことも多いのか、こんなにいろいろ難しい単語を知っているのにこの基本文法は知らないのか…  と驚くこともあります。

大学や仕事で使う英語、特にあとに残る書面の英語は文法が正しいのが当たり前というのが暗黙のルールです。本当に将来使える英語を身に付けさせたいのであれば、表面上のコミュニケーション力だけでなくこのような細かいところに注意を払わなければならないのです。

そして、もうひとつ気をつけないといけないのが、文化のちがいです。現地で生活しているならまだしも、日本で英語教育をしても文化のちがいを理解させるのはとても難しいです。

国によって言語だけでなく話し方がちがうのは当然のこと。英語を必死に勉強しても話し方のリズムやスピードがちがうことが原因で全く会話に参加できないことがあるという僕の経験を上に書きましたが、こんなことはめずらしくありません。

どこかの国に生まれ育てばその国の影響を大きく受けるのは仕方のないこと。どこに生まれても、どこでも何の問題もなく対応できる人など現実的にはいないと思います。

みんな表面上はうまく振る舞っていても心の中ではいつも葛藤をかかえているはずです。

何を選ぶか。その選択はとても難しいものですが、自分が選んだもの、もしくは与えられたものの中で懸命に目の前のものに取り組むしかないのかなと純ジャパの僕は留学を経て思っています。

みなさんはどう思いますか?



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