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【前編】恩返しから始まったフォトグラファー|フォトクリエイト:インタビュー

現在、プロのフォトグラファーとしてフォトクリエイトで活躍する古泉鉄平さん。

全国大会などで撮影するかたわら、平日は大学生として学業に励むフォトグラファーです。

【古泉鉄平(こいずみ・てっぺい)】2002年生まれ。千葉県出身。中学からマーチングバンドをはじめ、高校は全国大会常連の強豪校に進学。日本一を目指すも、3年生最後の大会が新型コロナウイルスの影響で中止に。自身が全力を注いだ証となる「写真」の魅力に感化され、フォトグラファーの道を歩み出す。2022年より、フォトクリエイトにてフォトグラファーとして活動開始。現在はマーチングのみならずスポーツも撮影。個人では「音楽×写真」を中心に活動中。

学生時代からフォトクリエイトにゆかりがあり、撮影をはじめるきっかけにもなったという古泉さん。中高時代を音楽に捧げていた青年がフォトグラファーを目指した理由に迫っていきます。

古泉さんのInstagramはこちら

──さっそくですが、写真をはじめたのはフォトクリエイトがきっかけとお聞きしました。

そうなんです。実は高校の時までカメラに触れる機会はなくて、ずっとマーチングバンドに全力を注いでました。高校も強豪校に入って「全国大会優勝」を目指していたんですけど、新型コロナウイルスの影響で、1番大きな大会が中止になってしまって……

──大会が中止になったのは高校3年生の時。世間ではいろんな学校行事や部活動の大会が中止になってしまいましたが……

もう絶望でしたね。日本一になって世界大会に出場することを目標にして中学からずっとがんばってきましたし、日本一になれば、その先もマーチングバンドを続けられたかもしれない。でも、目の前の夢も、将来への道も、そこで全部途絶えてしまいました

それまでの自分の人生は何かうまくいかなくても解決策を見つけてクリアすることができていたんです。
でも、こればかりはどうすることもできない

どうあがいても事実はなにも変わらない。


ただ絶望していました。


でも、大会が中止になっても取材を受ける機会がありました。その時に、過去の大会の写真を使っていただけたり、自分でもたくさん見返したりして、改めて全力で取り組んできたことがカタチに残っていることのありがたみを実感したんです。

全力で取り組んできたマーチングバンド
それを撮影していたのがフォトクリエイトだった

──大会がなくなっても、やってきたことは写真に残っている、と。

もちろん、なくなってしまったものを取り返すことはできません。でも、それまでの自分が歩んできた道はたしかにここにある。それを残すことができる写真の魅力に気づけたというか……

たぶん、「魅力」という言葉じゃ収まりきらないくらい救われました。

もともと、フォトクリエイトという企業が自分たちの撮影をしてくれていることは知っていたので、自分も同じようにこのフォトクリエイトで撮影をして、恩返しがしたい。

自分が生きる希望を届けてもらったように、「写真を通じて、なにかを届けられるようになりたい」と思って、日藝(日本大学芸術学部)に進学することを決めました。

──進路を左右するほどの、大きな出来事だったんですね。

大袈裟ではなく、人生が変わったきっかけだったと思います。

自分の目指す場所から、逆算して動くことが大事だとも語っていた古泉さん
言葉の1つ1つに芯の強さを感じます

──そして、音楽から写真の世界へ。全くジャンルの違う世界に、「未経験」で飛び込んだカタチになりますが、どうでしたか?

率直に「難しい」というのが最初の感想でした。シャッターを切れば撮ることはでますけど、撮影モードの違いもよくわからないし、キレイに撮れたと思って見返しても全然ピントが合ってなくてブレブレだったり。やってみないとわからないことが多すぎて、最初はかなり苦戦しました。

──実際に授業では、どんなことを学んでいますか?

たとえば「家族写真」というテーマがあったときに「こう撮りましょう」といった「どう撮るか」をみんなで話し合ったり、そもそも「家族写真ってなんだ」ってことをディスカッションするような授業が多いです。

そういった概念的な学びは、自分の世界観をつくる上でとても役立ちました。

一方で、撮影技術に関しては自ら実践する機会をつくる必要があります。
なので、自分にとってフォトクリエイトは「憧れの場所」でしたが、撮影の技術
を身につけられる「もう1つの学びの場」でもありました。

物事の捉え方や自己表現の方法は人それぞれ
授業では、単純に「撮り方」を教わるだけではないんですね

──そこから、2022年にフォトクリエイトでフォトグラファーとしての第1歩を踏み出しました。採用が決まった時はどんな気持ちでしたか?

人生何が起こるかわからないなと思いますし、なんか“エモい”なって。

──特にうれしかったことは?

2つあって、
まず1つはマーチングの全国大会を撮影できたことですね

自分が高校3年生のとき、最後に立つことができなかった場所に数年越しに戻ってくることができて、その時苦しかった自分を救ってくれたフォトクリエイトの一員として、今度は「写真」撮る側に立って、思い出に残る1枚を届けることができた。

それは自分の原動力の1つだったので、すごく感動したし、かけがえのない経験になりました。

──目標を叶えた瞬間ですね。

まずは、あの時の恩返しができたなって。


あともう1つ感動したのは、自分のチャレンジを応援してくれている“恩師”と“恩人”の写真をフォトクリエイトで撮影できたことですかね。

──“恩師”と“恩人”。2人いらっしゃるんですね?

“恩師”は、マーチング部の指導をしてくださった自分の母校の先生なんですが、定期演奏会の撮影をフォトクリエイトに依頼してくれました。フォトクリエイトも自分の母校の撮影と認識してくださり、ご好意でオファーしてくれました。

青春のすべてを注いだマーチングバンド
指導してくれた“恩師”とこのようなカタチで再会できるのだから、それはエモい

サッカーを辞めて、音楽やマーチングバンドをはじめたときにお世話になって、自分のルーツをつくってくれました。その時にお世話になっていなければ、こうしてフォトグラファーを目指すこともなかったですし、自分にとって恩師ですね。

──“恩師”との再会。とても偶然とは思えないくらいの運命を感じますね!

“恩人”は、今でもアルバイトでお世話になっている、スターバックスの店長さんですね。

店長はかつてプロとして全国ツアーをするようなミュージシャンでした。
今自分は、“プロフォトグラファー”としての自覚と責任をもって撮影をしていますが、店長もこの自分の想いに共感してくれて、シフトの融通を利かせてくれたり、「いつかこの店で鉄平の写真を飾りたいね」と言ってくれています。

背中を押してくれる元ミュージシャンの店長
“夢追人”だったからこその心強いサポーターです

この写真は、たまたま自分が撮影に入った「いわきサンシャインマラソン」に店長がランナーとして参加していて、はじめて写真を撮ってあげることができた時の1枚です。

──“恩人”との再会もたまたまだったんですか!

もちろんエントリーしてることは知らなかったので、びっくりしましたけど(笑)

音楽の道を離れても、こうして新しい道を応援してくれる人がいることはものすごくありがたいし、自分が今がんばっている「写真」を通してお礼ができたので、フォトグラファーになってよかったなと思います。


古泉さんの人生の指針となった「音楽」と「写真」。そして「フォトクリエイト」と"恩師"と"恩人"にまつわるエピソードをお届けしました。
強い信念を持った古泉さんだからこそ、とても劇的でありながらも、心あたたまるエモいエピソードでした。

次回の後編の記事では「実践の場をつくる重要性」、そして古泉さんが目指すフォトグラファーとしての将来を語ってもらいます!

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