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マインドウォッチング、マインドトレーニング、信頼、神にフルアテンションを置くこと
この先も歩いていくために、「常に心に保ち続けるといいよ」ってことをしめしてもらった、ここ最近だった感じがしている。
マインドウォッチング、マインドトレーニング、信頼、神にフルアテンション(全注意)を置くこと。
マインドウォッチングとマインドトレーニング。
心の中に上がってくるものはどんな小さなもの微妙なものも、
抑えたり無いフリをせず、認めて許可する。
そして、それができれば感じたくないも
ホンモノの気持ち|NETFLIX
AIだろうとにんげんだろうと、
「わたし」とおもってきたものは、ただのきおく。
今この瞬間、自分にあると思っている経歴、過去、趣味嗜好、自分はこういうものだという前提。
すべて「ほんもの」ではない、ニセモノ。ゾーイとまったくいっしょ。
それはまんぞくをもたらせない。
ほんものは、神の愛だけ、愛されているということだけ。
それをうけいれたとき、ほんものになれる。
Now I feel I'm gradually losing trust in my self-concept.
(先月の勉強会からのメモ)
自分がしてもらえると嬉しいのは、どんな自分が出ても全肯定してもらえること。
それをまず自分が自分に与える。
投影しないようにするのではなく、図太く腹の底から赦したい。
ラファエルにたいして、先生のような、神のような、私をジャッジする力をもった存在を投影し、恐れていて、関係性をコントロールすることで何かを避けることができると思っている。
今日、自分のブログに書いた「神とは異なる決断をした」という言葉にすごく恐れを感じているのに気づいた。
何か本当に自分一人だけ、とんでもない間違ったことをしでかしてしまったみたいな。
ラファエルへの投影に象徴されるような、この世
今自分に教えたいこと
兄弟と話すことで、自分が今一番自分に教えたいことがあらわに、明確になったように感じる。
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心の力をどこに注いでいるか?
表面ではいろいろな思考や言い張り、感情があるように見えるけど、
・・・結局実は、みずからすすんでムシケラに同一化している。その同一化に心の力を注いでいる。
「私ってこういうものなんだよね」
ということにしておきたい。それを維持しておきたい。
分離は、神と
覚悟ってこういうことなのか。
自分の中にわいてくる、あらゆるすべての「不平不満」を、どんなに微妙で小さいものに見えようが、あらゆる不平不満のすべてを、その根本から完全に断ち切ってもらっていいんだ、という覚悟が必要な感じがする。
この賢太という設定や、人間という条件づけにまつわる不平不満(死や老い、病気など)も含め。
「ある程度不平不満を言える立場に自分を保っておいたほうが有利だ」という勘違いからの決断を、あるレベルでしてし
出口である願望に触れる
自分が映し出した世界について、感じてること。
自分のなか、奥深くでずっと感じている感情。
何度も平安へのツールを繰り返していると、
そういうのが奥のほうにあるんだな、ふだんは触れられてないけど、
と感じられてくる。
何かのトリガーを引かれて動揺したとき、
そのトリガーによってある感情が引き起こされたように見える。
でもそのトリガーにまつわる感情を純粋に深く見ていくと、
自分がずっとこの世