出口である願望に触れる

自分が映し出した世界について、感じてること。

自分のなか、奥深くでずっと感じている感情。

何度も平安へのツールを繰り返していると、
そういうのが奥のほうにあるんだな、ふだんは触れられてないけど、
と感じられてくる。



何かのトリガーを引かれて動揺したとき、
そのトリガーによってある感情が引き起こされたように見える。

でもそのトリガーにまつわる感情を純粋に深く見ていくと、

自分がずっとこの世界のなかで、この世界や自分にたいして感じ続けている感情にふれることになる。


それは深く巨大な罪の感覚だったり、
終わりのない悲しみのような感覚だったりする。

これを感じ続けるのは耐えられないと信じてるので、
それを覆い隠すための何層もの浅い感情、
そしてそれらの感情を正当化できる「現実の映像」を映し出し続け、そこに拘泥しつづけている。


このループは、私の願望から始まった。
このループからの出口も、願望にしかない、とコースには書かれている。


この前兄弟といっしょに平安へのツールをやっていて、
たしかにそうなんだ、と感じた。


私がこの世界にたいしてずっと感じている、
深く巨大な罪の感覚や、終わることのないように見える悲しみに触れられたとき、

「この感情をずっと持ち続けたいですか?」

と聖霊から質問される。


すると、

「持ち続けたくない」

という真の願望・欲求に、自動的に一致することになる。


この願望が、ループから脱出するためのすべてのスタート地点だと感じた。


世界や自分について感じている、いちばん深い感情に触れて、

「この感情をずっと持ち続けたいですか?」

という質問にこたえること。


それだけで、

「持ち続けたくない」
「もっと違う何かがあるはずだ。私はそれを求める。」

という私の願望に一致することになる。


その願望からはじまり、祈り、心を開いていくことができる。

願望は、応えられる。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?