マガジンのカバー画像

ばんこく逍遥

20
メガロポリスと化したバンコクでの日々と、立ち寄った万国の片隅でゆれうごめくよしなしごと。おもに移動してます。
運営しているクリエイター

#日常

輪郭

輪郭

 

 現代の都市生活にあってリアルへのとば口は、都心の閉鎖空間にこそ開く。ふだんは気にもしないブロック塀を抜ける朽ちかけた木扉や、マンション地階のごみ収集場から地下へと降りる階段の先で、真実はつねに口を開けている。そこは精霊の現れぬ森であり、自我の輪郭は森奥でどろりと溶けだすときを待っている。
 
 線路際まで迫るスラムを列車が走り抜ける光景は、いまやバンコク近郊の観光資源になって久しい。東京以

もっとみる
夢七夜

夢七夜

 
 とめどなくイメージや言葉があふれ出てくるので、
 幾らかを書きつけておこうとおもう。

 映画について。ミニシアターについて。映画をめぐる人々と言葉について。 

 きのう3日目を終えた、全国18館のミニシアター連携企画『現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜』。
 (公式HP: https://arthouse-guide.jp/#theater

 第1夜が『ミツバチのささ

もっとみる
乳の雨ふる

乳の雨ふる

 さうしてこの人気のない野原の中で、
 わたしたちは蛇のやうなあそびをしやう、
 ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
 おまへの美しい皮膚の上に、
 青い草の汁をぬりつけてやる。
 (萩原朔太郎 「愛憐」)

 闇を厭い、光を求める。生存本能がそう欲する。闇を恐怖する。真の孤独は光からこそ生じるのに。視野へ見とめたわずかな昏がりを闇と錯覚し、ただひたすらにそれを恐れる。その闇は影であり、

もっとみる
水圏

水圏

 目覚めの小一時間を、ふだんより大切に過ごす試み。として、まずは丸ごと執筆作業に充ててみる。手洗いやコーヒーを淹れるなど最小限の作業のほかは、寝覚めの空白のまま言葉の空白にただ向き合う。これまでにもたぶんくり返し思い至ってきたことだけれど、この作業には見通しがなく、キリもない。井戸から水を汲みだしつづけるようなもので、湧きでるかぎりいくら汲みだしても際限はなく、いつ水が涸れるかもわからない。ただ近

もっとみる
人生の奴隷

人生の奴隷

    
 マリファナはタバコや酒に比べ有害か、という議論をたまにみるけれど、状況や属す社会により害の定義は変わるので当然どちらともまずは言える。即効性の観点からは砂糖こそ、お手軽さも込みでマジックマッシュルームと並んでヤバさの極みと個人的には感じるけれど、中毒者が多数派を占める社会ではもちろんのこと中毒である状態が「健全」になる。また依存性や紊乱性の観点からアルコール摂取の社会リスクこそヤバヤバ

もっとみる
青衣島

青衣島

 

 二階建てバスの二階の先頭席は、事故のとき一番死ぬから香港人はあまり座らないんだよ。

 嬉々として先頭席に陣取ったぼくの隣に腰をおろして、そう教えてくれたのは誰だったろう。美蕾かな。いやdelphineか。はっきりと思い出せない。隣席からこちらをのぞき込む、いたずらっ子のような瞳の光と声の反響だけが脳裡によみがえる。

 窓外は雨のぱらつく濃い曇り空で、弾丸道路がランタオ島の北側を貫通して

もっとみる
接十分鍾的吻

接十分鍾的吻

 

 香港。

 “世界一危険な国際空港”として知られた啓徳空港が健在の1997年、初めて当地へ降り立った。99年間の租借を完了し、英国から中国への返還が行われたまさにその年、香港の街はそこらじゅうに異様な興奮と不安が渦を巻いていた。

 九龍の高層建築すれすれを旅客機が飛んでゆく様は、着陸寸前の機内の窓から見るだけでも想像以上の迫力で、シートベルトをはずす前からぼくのテンションは最高潮に達して

もっとみる
無数の愛

無数の愛

 

 海では浮力が強くはたらくから、大きく息を吸いこむと、そのぶんだけ潜るのに力を使う。

 深くまで潜りたいからたくさん息を吸いこむのに、これではなんだかあべこべだ。けれどすこしだけ力をふりしぼり、ある見えない均衡線を超えたとき、海底へと垂直に沈んでいくのがぐっと楽になる。

 得意なことの大半は、放っておいても巧くできてしまうことなので、何ができているかをきちんと自覚することはなく、なぜ得意

もっとみる