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ブラック企業での最初の仕事

プロローグ

オイラは昔、俗に言うブラック企業に勤めていました。
その会社は、今は一部上場しており、素晴らしい会社に成長しています。
多分、当時は会社自体も役員の方々も未熟で、ブラックであるという自覚すらなかったんだろうと考えています。

ブラック企業への転職

オイラは、もともとソフトウェア事業で独立の準備をほぼ終えて、仕事もいくつか請け負っていました。
しかし、時を同じくして、知人から上場を目指している会社を手伝ってほしいということで、悩んだ結果プログラマーとして転職しました。
請け負っていた仕事の発注元にはとにかく頭を下げました。
転職までに6ヶ月を要しました。
晴れて、プログラマーとして働き始めました。

働き始めて

その会社は完全裁量労働制で何時に出社しても何時に帰っても良いという形態でした。
オイラは、9時に出社し、18時に帰るルーチンで働きました。
このときはオイラ自身、まだブラック企業だと気づいておらず普通に働いていました。
ほとんどの社員が昼過ぎに出社し、深夜以降や朝方に帰るという状況でした。
また、帰るのが面倒だということで会社に泊まり込む人も多数いました。
会社の休憩室には大量のマンガ本があり、布団が敷かれていました。
夜になると、会社の近くのお店で夕食を食べ、そのまま近くの銭湯にはいり、会社に戻ったあとは、マンガ本を読んで少し休憩し、また働く者、そのまま会社に泊まる者、当たり前のように会社でプライベートな時間を過ごすという天国なのかブラックなのか、よくわからない状況がそこにはありました。
朝、出社すると会社に泊まり込んだ人たちが休憩室でまだ寝ていました。
私の出社と入れ替わりで帰宅する人も多数いました。

役員からの呼び出し

ある日、会社の役員・ディレクター陣に呼び出されました。
ディレクター会議中でした。
呼び出しを受けたオイラは『エンジニアの稼働コストが高すぎて困っている』という話をされました。
その会社は、目先の案件をこなすために、派遣社員も多数採用していました。
オイラは一瞬心の中で『アホなのか?!』という言葉がよぎりましたが、ぐっとこらえ、『社員が昼過ぎから出社するので、派遣社員もそのペースに合わせざるを得ない。その結果、派遣の方も深夜や朝方まで働くことになる』と実情を話した後に、『派遣の賃金が安いときに帰宅させ、割増料金時間帯にフル稼働させているから高くなるんじゃないか?』と説明しました。

改善提案

どうすればよいかを問われました。
心の中で、『マジか・・・』っと絶句しつつ、『普通に、朝来て夜帰るようにすればいいんじゃないか?』と話しました。
『裁量労働制なので出社時間を強制できない』と言われましたが、そもそも、労働基準を理解しているエンジニアは皆無でした。
眼の前の業務をこなさなければならないという真面目な面と朝起きるのが辛いという怠け者の面が両方出た結果だろうと。
『朝の時間帯に出社してチーム会をやろうと呼びかけて見てはどうか?』と提案しました。
『出社時間帯がばらついて、チーム内のメンバーが一同に介することが少なく、案件対応のパフォーマンスが最大化できていない。そのパフォーマンスを最大化するために、時間を決めて顔を合わせて情報共有する場を設けよう!』と呼びかけてはどうかと。
その提案は受け入れられて、すぐに実行に移されました。

施策の結果

もともと、真面目なエンジニアが多かったので、時間もかからずその施策は軌道にのりました。
派遣社員の方々は収入が減って、嫌な思いをしていたかもしれませんが、文句を言うエンジニアはいませんでした。
その結果、3ヶ月後くらいに、大幅なコストが削減されたにも関わらず、各案件対応のパフォーマンスもかなり上がり、会社が活気づきました。
そして、エンジニアとよく話ができるようになったため、人となりや得意・不得意などもわかるようになり、組織としてきちんと体制を作ろうという話に発展しました。

組織構造の改革へ

今までは、役職はディレクター兼マネージャーが一人、その上は役員や社長。ディレクター配下にすべてのエンジニアがいるという状況でした。
この出来事がきっかけとなり、ディレクターとエンジニアの間に、マネージャーのレイヤーが設けられ、マネージャーが各案件をハンドリングする体制になりました。
オイラは、社長・役員やディレクターからの推薦でマネージャー職に就くことになりました。
社内では一番若いマネージャーとなりました。

まとめ

多少は労働環境がまともになりましたが、社長営業の結果でチャレンジングな案件が丸投げされたり、その結果長時間労働を余儀なくされたりというのが日常でした。
入社当初こそ、定時に近い労働でしたが、日をおうたび、案件が増えるたびに帰宅時間も遅くなっていきました。
でも、ブラック企業がちょっとだけ普通の会社に近づけるようになったきっかけを作れたことは本当に良かったですし、自分にとっても良い経験になっています。
おしまい。
気が向いたら当時まき起こったいろいろな出来事を書いていきます。

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