記事一覧
長塚節『土』 について
およそすべての生物は、自分の居る環境と交渉を持って生きている。その中で苦しい思いをしている。当たり前のことだ。ただ、自らとその周囲との関係を包括的に対象化して吟味するということを普通はしないで生きているので、苦しみを生活それ自体として生きている。だからそれが芸術によってでも何でもいいが「描き出される」ことによって、我々はどのように生きているのかということを目の当たりにさせられるので、痛みを伴った
もっとみる小川未明『大きなかに』 について
要するところ、晩冬から初春の極めて微妙なところで、狐に化かされたかのように、ぼんやりと何かがおかしい情景なのである。ただそれで済ませてよいか。おかしいにしても、ちょっと度を越しているというか、例えば「なんだか不思議だね、もうすぐ春になるからだね」と言って済ませられるものではないような気がする。
それはやはり、「家族」とその内的な・外的なかかわり合いに、どこか不穏なものを感じ取るからに違いない。
『特捜エクシードラフト』第40話「死の爆弾罰ゲーム」 について
6年ほど前に書いた文章である。
驚くのは,終盤の隼人の長い語り,弘の事情をすべて説明してしまうあの語りが,ほとんどシナリオの通りということで,当たり前と言えばそうなのだが。あまりものを語ってしまうと表現としてはよくないものになりがちだが,今回非常に複雑な構造がよく見えない形であるので,仕方のないことではある。
小出徹(40)が「お母さんと一緒に残るんだな」と言うとき,というかそういう言い方
川島のりかず『フランケンシュタインの男』 について
普段こういうものを読まないので、読むのも、それについて何か書くのも気が引けるが、大勢の方がぜひ読むようにと薦めていたと思うので、読んだ。
そもそも、その「薦められ方」が不思議な感触だったと思う。いちいち引用しないが、どれも、とにかく読んだ方がいい、というニュアンスだったように記憶している。こういうスゴイ物語だから、とか、こういうことを考える上で必要な視点だから、といったことは、私の見た限り、目
イプセン『野鴨』 について
登場人物の自殺(の企図及び未遂)について言及される。ヤルマールとその父、及びグレーゲルスの貯金が「まあもつでしょう、生きてる間」というのも穿って考えればそうである。だが、それを既遂にまで運ぶことができたのはヘドヴィク一人なのである。ヤルマールもヘドヴィクも「ピストルを自分の胸に向ける」ことをしたのは同じだ。ただ前者はそれ以上のことができず、後者は完遂するのである。これを比べられることだとしたら、
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