『ウルトラマンレオ』第49話「死を呼ぶ赤い暗殺者!」 について

 確かにこれはこのシリーズの中ではかなり水準が高いものであるとは思うのだが、「お話」についてうまく考えることは難しい。極めて部分的な描き方をしているからだ。この部分からどのような全体を探り当てることができるのだろう。
 ブラック指令の作戦というかノーバのそのような機能というかがどれほど効果的なのかは、もう言ってもしょうがないのだろう。現実でもこういうことがあるのを、我々は雨が降ることを降雨として受け流すように日々経験しているのだろう。そしてトオルがあのような思いでいるとして、それにつけこんで街を彷徨させて被害を拡大させるということも、それは極めて異常な事態であるとしても、事態の筋道の限り(「こうだからこうなった」、という「部分」)において「ああそうなんだな」ということで理解できるのであり、情報社会においては突出した情報とは常にそのように受け流されているのだから、このお話も「ああ」と思えばそれでしまいにされかねない(このことは円盤生物編のどのお話にも大なり小なり言えることで、最終章の卓袱台返しが必然的に導かれてしまうのである)。
 その上で何を言うか、言いうるのか、である。DVDのパッケージに、「人間の強さ、心の脆さ、不条理に向き合う人間の性を描いたシリーズ珠玉の名作。」とあるのだが、私見ではその3点をそのような言い方以上に掘り下げて説明することはできない気がするのである。本当にそのようなことが確かめられているのだろうか。
 ただ、やはり「不条理」という言われ方が気になる。これは「部分」を何かと参照して、何らかの広がりのある状況を言い当てようとしているのだろうと思う。それが「全体」につながる可能性はないだろうか。
 トオルの状況は、とりあえずいい。そういう境遇において、そのような気持ちでいることを、我々はよく理解する。気になるなのは、結果論ではあるが雨が降らなかった日の前日にてるてる坊主を発見し(それがノーバの作戦上のことであるとしてもその作戦はあまりにもランダムである)、それと話をすることである。それが「淋しさ故」としてまだ理解できるのであれば、それはそれでいいが、最終的にそれを公園の木の枝に下げて翌日の参観日が中止になるくらいの雨をお願いするところは、かなりどうにかなっていると言っていい。
 我々が流れ星に願い事をするとき、そうすることができるのは、とてつもなく遠い流れ星と自分とを関係させることで、その瞬間ほかのあらゆる地上的な関係から解放されるからである。流れ星はとてつもなく遠いから、関係の中でどちらも卑屈にならなくて済む。その姿は芸術の中で描かれるとまことに美しいのだが、実際には、決して人に見せてはならない―その自由な姿に対して、その魂のありように対して、周囲が卑屈になる可能性があるからだ(冒頭の場面。なおこの不思議は別途解明する必要がある)。
 しかしてるてる坊主の場合は、そうもいかなくなってくる。まず、あれは建物の中からその軒先に吊るさなくては意味がない。関係の空間はそのように仕切られる(屋根の下と外ということ・今は雨をよけて室内にいるが雨のない戸外に出ていけるようにしてくれということ)。トオルはそれを屋外で吊るしてしまった(擬制的な家族のいるあの家に持ち帰って、ではない)。あそこからどのような空間の限界が想定されるだろう。「学区」だろうか。そんなはずはない。のちに被害が出ることになる「街」だろうか(ノーバの企みとしてはそうである)。つまりトオルはそのあたりをどのように感覚していたのかを表現している、というより、「虚しさ」は結局あのようにあいまいに持て余されていたと考えていい。そして、そもそもてるてる坊主は自分で布なり紙なりを丸めて目鼻を書いて作るものである以上、それと「首をちょん切る」というような陰湿な関係を作りあげてしまうことが極めて容易である(一点目との関連でいえば、通常の吊るされ方によって、我々はその仕切りの内と外それぞれにおける、それら相互の陰湿さをうかがい知ることができるのである)。それは彼がまず「自画像」としてノーバを描いたことで明らかであり、最後の場面のてるてる坊主の滲んだ表情からもわかる。
 つまり「願い事」の空間が、おかしくなってしまったのである。ノーバとレオとの闘いのとき画面が赤くなった範囲が、病んだ空間を示していたかのようである。おそらくこの画面にたどり着くことがこのドラマの目的で、あの雨が降る陰湿な空間こそが、指示されるべき全体である。そして例えばわたしが言ったのとは別に、新聞記事で使われるような使い方でもってトオルがあのように家族を失ってしまったということを指して「不条理」とするならば、やはりその真っ当な思いと願い事はてるてる坊主を通すとおかしくなってしまう・赤い雨の空間を作り出してしまうということなのだろう。赤い空間が晴れて、トオルは美山家に戻っていく。たぶん、失った家族への思いはそれとして、現実の人間関係に健康な形で参加していくに違いない。だからやっぱり、冒頭であゆみが無邪気にもトオルの前で流れ星にお願いをしようとしてしまったこと、これが発端であるという感がぬぐえないのである。

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