長塚節『土』 について

 およそすべての生物は、自分の居る環境と交渉を持って生きている。その中で苦しい思いをしている。当たり前のことだ。ただ、自らとその周囲との関係を包括的に対象化して吟味するということを普通はしないで生きているので、苦しみを生活それ自体として生きている。だからそれが芸術によってでも何でもいいが「描き出される」ことによって、我々はどのように生きているのかということを目の当たりにさせられるので、痛みを伴った感銘を我々に与えずにはおかない。この小説は、「土」との交渉に生きる人々にとってそのようにある。
 作者は環境を描写するにあたって相当メカニカルな点に注意している。例えば「水に近い湿った土が暖かい日光を思ういっぱいに吸うてその勢いづいた土のかすかな刺激を根に感ぜしめるので、田んぼの榛の木の地味なつぼみは目に立たぬ間にすこしずつ延びてひらひらと動きやすくなる」という個所では、「…ので、動きやすくなる」という理屈っぽいというか不思議な感触を抱かせる文章となっている。仕組みが説明されている。この感触を「ああ」と思うのが「土」との交渉に生きる人であり、「へえ」ととらえる人はそうではない人である―序文を寄せた漱石のように。「そうでない人」とは多くが「人」との交渉に生きる人であり(それ以外は「水」との交渉に生きる人である)、作中では卯平がそうであるし、当時にあっても読者の多数・文壇の大多数はそうであったことだろう。
 まず作中の話から先にすれば、勘次と卯平の反りが合わないのは、もうお分かりのとおり何との関わりにおいて生きているかが全然違うからである。勘次は「土」と「反発」しあう中で絶えず緊張して生きているので(しかも彼の場合はお品とのなれ初め及び彼女の死によってその緊張の度合いが極端であり、彼にとっての「人付き合い」の難しさもまた他人と比べ物にならない、つまり彼の「盗癖」はここから考えられてよい)、「人付き合い」を生きることの優先されるべき条件として考えられないから、卯平と「家族」並みの付き合いをすることができないのである。逆に卯平は若い頃から肉体労働をしないこともないが「着物を改めてあてどもなくぶらつくのが好きであった」とあるように、またそもそもお品の臨終があって勘次に最初に(直接ではなく―というのが重要である)言ったのが「勘次もかせえで知らせやがればええのに」ということであったように、人間関係との交渉において生きる人であったから、交渉の糸口のない勘次とはうまくやりようがないのである(なおこの二人の交渉の持ち方の可能性を奇妙な形で示していたのが与吉である)。
 勘次の姿は一生懸命で悲痛である。それは「まあそうなんだろう」ということで、「人」の人からは感受されるけれども、居ずまいというか魂のレベルでの悲痛さが、確かに存在するのである。わたしはそれを、蜀黍泥棒の一件が落着した後の「ある日」の主人のお内儀さんとの会話に見る。話の内容にではない。「お内儀さんの心裡に伏在する何物かを求めるような態度」にである。たぶん国語のテストの解答としては「身内さえ大事にしないひどい姉」について語ることで自分はそれほどではないと思われたいのだろうが、話が舅の方へ向かってしまい、自分も自身のそれを大切にしていない、ひいてはやはり自分も「人付き合い」においては胸を張れないことに思い至って、おつぎの帯の相談というポジティブな方向に話を持っていったという流れなのだろうが、わたしは「姉についての語り」のいつにない長台詞に、「土」との交渉に生きる人の、魂の熱心さの告白を見るのである。
 こういった個所はほかにもいくらもあるが、たぶん、「人」との交渉に生きる人のパワーによって覆われている状況にあっては、そこは感受されることなく、取り残されるのだろう。従ってこの作品はそもそも「読まれない」か、あるいは肯定しようとすればいきおい漱石のように極端なものの言い方になる(奇妙な態度ではある)。
 「涙さえ出されない苦しさ」、「雨の降らない代わりに生涯照りっこない天気と同じ苦痛である」のはその通りであるが、結局のところ、そうは言ってもそこを生きてるわけだしなあ、と思うわけである。つまり漱石は、「こっちのおとっつあん、そんじゃしょうねえよ、さっきもおれそっから不承してくれろうって堅しく言ったんだっけな、そんじゃおれも困っからそこはお互にこう物は言わねえことにしてやってくんなくっちゃなあ」というような部分を「余らにはあまり縁の遠い方言」と自己を中心として切って捨てているわけで、つまり彼はこの部分を音読できなかったのだろう(それは彼が責められるべきことでは到底ないにしても)と思うにつけ、ここに、我々の魂の姿が、実に孤独な形でぽんと提出されているのだなと、この作品のたたずまいを含めて、強い感銘を受けるわけである。

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