古代ペルシアの宮殿遺跡ペルセポリス(中編)
新春(ノウルーズ)の祝祭を催す壮麗な宮殿として建てられた優美なペルセポリスがやがて廃墟と化してしまったのは、アレクサンダーがペルシアに侵攻した際にペルセポリスを焼き討ちしたことに端を発しています。アレクサンダーは、当時アケメネス朝ペルシアの州(サトラピ)のひとつだったギリシアに対して反乱を起こしたマケドニアの司令官で、その後ペルシアにも侵略した歴史があります。
実はアレクサンダーの焼き打ちで廃墟と化したペルセポリスの悲劇は近代になっても繰り返され、欧米の考古学者などが発掘のために押し寄せた際に、壮麗な壁画や彫刻や宮殿の柱や黄金の杯などの秘宝の数々がバラバラに切り取って持ち出され、パリのルーブルや大英博物館やNYのメトロポリタンやベルリンなど様々な美術館に収蔵され、ペルセポリスの遺跡がいっそう廃墟の趣きを増してしまったという歴史もあります。意外と知られていませんが、日本のMIHO Museum にも欧米の美術館に引けを取らない古代ペルシアの美術品が多数収蔵されています。
アレクサンダーがペルセポリスを焼き打ちしたのは、実はマケドニアから連れてきた娼婦にそそのかされてのことだったそうです。けれども侵略者であったはずのアレクサンダーは後にペルシアの王妃を后にし、ペルセポリスに火を放ったことを深く悔み、イスカンダルというペルシア語名まで持つようになったとか。この歴史をきっかけとして、後にギリシアとペルシアの美が融合した独特のヘレニズム文化が生まれたことも有名なところです。古来、文明の十字路に位置して、多数の侵略者たちにも襲われたペルシアは、侵略者たちまでもペルシア文化の虜にし続ける懐の深さで、繰り返され続ける侵略にも動じない由緒ある文明を保ってきた歴史でよく知られています。
こんな風にしなやかで強靱な精神を持つペルシア文化を知る上で、ほぼ2500年前に遡るアケメネス朝ペルシアはとても大事な王朝のひとつです。アケメネス朝は世界史初の帝国で、ギリシアからインドまでの広大な地域に及ぶ20の州(サトラピ)がひとつの連邦政府のもとにそれぞれ独立して平和に暮らすという、理想的な統治形態が実現された国家です。もっとも歴史的に見れば、アケメネス朝ペルシアの政治形態は2500年前に一夜にしてできた訳ではなく、それ以前の数千年の古代ペルシア文明を引き継いで登場したものです。
史上初の帝国として古代世界のほぼ半分を統治していたアケメネス朝ペルシアは、東西の様々な文明に深い影響を与えたことで知られています。
建国者のキュロス大帝が発布したキュロス憲章は世界初の人権宣言として名高く、国連本部にもレプリカ(本物は大英博物館所蔵)と翻訳が展示されています。ジェファソンがキュロス憲章を下地にアメリカ合衆国憲法を書いたことも、有名な話です。楔形文字で書かれたこの古代の人権宣言は、信仰の自由や奴隷制の禁止など、2500年前のものとは思えない進歩的な内容が並び、旧約聖書の記述などから、これらが本当に実現されていたことも確認されています。
キュロス憲章(大英博物館)
もうひとつ大事なのが、ペルシアの大帝は王権神授説に基づく聖なる王だったことです。つまり、ゾロアスター教の唯一神アフラマズダの天命で選ばれた王は、正義をもって世を治める責務があり、正しく治国している限り、天が王権を支えてくれるという思想です。中国の天子と似ているのは、ずっと古い昔からペルシアの地で続いていたこうした思想がシルクロードを通って伝わった歴史があるようです。(続く)
アケメネス朝ペルシアで働いていた労働者の給与明細。捕囚の民もペルシア人も男女もみな平等の給料だったことが記されています。
日本の MIHO Museum の収蔵品。イランのアゼルバイジャン地方で発掘された7千年前の黄金のワインの酒杯です。
(Copyright Tomoko Shimoyama 2019)