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強くて優しい人になりたいのです。

以前、自分には欲が少ないことを書いた。それは、「自分自身を喜ばせたり満足したりするための何かを欲しない」という意味であり、そういう人間の持つ欲望は、「ネガティブな影響をニュートラルな状態に持っていく方向に働く」という特徴があった。

しかし、ネガティブな影響というものは考え出したらキリがないのだ。

私のこの思考はついに行くところまで行ってしまって、「今後日本が戦争に巻き込まれたとしたら、自分自身はどのように振る舞うべきか」などということすら考えてしまっている。

本当はそんなことを考えたくもないが、中期的なスケールで考えればそれはある程度現実的なことであると私は思っていて、そのときが来たら腹を括らなければならないと思っている。

どう生きるかを考えることは、どう死ぬかを考えることでもある。

自分が天寿を全うできるか、何か不測の事態で死ぬか、何かに殺されることになるかはわからないが、自分自身が死ぬ直前までに一体どのように生きていたいのか、自分自身にとっての本当の幸せは一体何か、ということを今一度改めて考え直してみた。

究極的に言えば、自分にとっての幸せとは、自分自身が衣食住などについて必要最低限の生活ができている上で、自分の身の回りの人たち、自分の好きな人たちが幸せに生きていってくれることだ。そして、その自分の好きな人たちの幸せに自分が少しでも貢献できていればなお良い。

自分自身のためにというよりも、貢献したいと思える人たちのために生きる方が気持ちが乗るし、自分にとっては合っていると思う。

その上で、ひとまず30歳になるまでの残りの数年間で何をして生きるのが良いだろうか。

とりあえず社会人経験を積むため、どこかの企業で働くべきだろうか。
お金のことは考えずに、自分がやりたいと思いついたことにとりあえず取り組んでみるか。
はたまた、海外である一定の期間を過ごすということも、人生経験としてあってもいいのかもしれない。

色々とシナリオは思い浮かぶわけだが、准教授の言葉に倣うなら、「まず決める」だ。「これにする」と決めた後で、その選択肢が最適だったと言えるように行動するのである。

しかしそうは言っても、本当の本音を言ってしまえば、それができれば誰も苦労はしないのだ。私のようなネガティブ影響を常に考えているビビりな人間には、それをする度胸が無い。

しかしながら、本当に人に何かの貢献をしたいと思うならば、それには自分自身の一身独立が大前提になる。自分自身のことはきちんと自分でできるようになって、大事な決断を責任を持ってできるような一角(ひとかど)のものにならなければ、人助けなどできない。人に優しくなるためには、まずは自分が強くならなければいけないんだ、と自分に言い聞かせながら生きている。

ここでの強さとは何か?

それは、自分自身の弱さに負けない強さである。

自分がいつか死ぬときに、「強くて優しい人になれた」と自信を持って言えるような人でありたい。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。