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傾聴力による他者分析が面白いのです。

私には、他者の話を傾聴できる、という強みがあることを感じている。

この謎の能力というか、強みについてもう少し解像度を上げてみたい。

なぜ私は他者の話を傾聴できるのだろうか?

1つには、自分自身が何かを主張したいと思うことが少ないから、自分が喋らなくてもストレスが溜まらないことが挙げられるだろう。人の話をうんうんと聞いている方が楽だし、それでも十分楽しめる。ときどき共感したり感想を加えたりして、相手の話すターンをつくり続けることに意識的になれば、さらに相手に満足感を与えることもできるかもしれない。

しかし、「中身のない話」はあまり好きではない。ここでの「中身のない話」とは、愚痴や悪口、下ネタなどである。大学時代のアルバイト先の同僚たちとの飲み会ではそういう話ばかりだったから、私はほとんど喋らなかったし、聞いていても心が荒むだけで自分にとってマイナスしかないので、さすがに嫌気がさした。

一方で、「中身のある話」を求めているのかというと、必ずしもそうではないかもしれない。

確かに、そういう有意義な話を聞けたら嬉しいと思う側面は当然ある。例えばここでの「中身のある話」とは、先生方からのありがたいお言葉の数々であるとか、自分自身にとって何らかの学びの要素を持つような話のことである。

しかしながら、そういった自分にとって直接的に学びの要素を持つような話でなくても、前向きに聞くことができる話があるようにも感じている。それはおそらく、相手が真剣に考えている悩みや相談ごとについての話だ。

なぜなのだろうと考えても、あまり自分としてもハッキリとはよくわからない。努力して言語化するとすれば、「その相手が何を気にする人間で、何かの物事に対してどのように考える人間なのか、ということを知ることができるのが面白い」のかもしれない。

そういう話をしっかり聞いて自分なりに理解し、何が課題か、どこに大事なポイントがありそうかを分析し、自分自身の脳内にある既存の知識やコミュニケーションに関する知見と結びつけることで、その悩みをどのように考えていけばよいのかを把握するのが面白い、と思っているような気がする。

私は別にそれをその相手に無理に伝えたいわけではないし、むしろ張り切って伝えてしまったら聞き役として失格であるから、そんな無粋なことはしない。

しかし、そうやって色々とその相手に関する思考を巡らすのが面白いのかもしれない。

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