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クライマーズハイで自分を乗り越えたのです。

(昨日の続き)

出発から1時間、依然として頭痛は改善の気配を見せない。

こうなったらもう、頭痛のある状態に慣れるしかない。ここから酸素の豊富な環境に行くためにはもう下山するしか選択肢がないのだから、だとしたらこのまま登頂するほかないのだ。それ以外の選択肢を考えるだけ無駄だ。

しかも、いずれにしても私がここに来たのは、今の自分にとっては、こうして自分自身のことを追い込んで何かを乗り越えるという経験をした方が良いのではないか、と思ったからでもある。これぐらいの試練が無ければ、ここに来た意味が無いのだ。

大変ありがたいことに周りのメンバーは私のことを心配してくれているが、彼らの優しさを感じることよりも、そんな自分が不甲斐ないと感じる思いの方が強いのが正直なところだ。

大丈夫?と声をかけられてそれに都度応えるよりもむしろ、酸素不足の脳に負担をかけすぎないように、一切の思考を歩みを進めることだけに集中させて、余計な思考をしない方が良いのではないか、とすら思えてきた。幸い、私はこうして黙々と、淡々と何かをこなすことが苦にならない方の人間なのだ。

黙々と進んでいる間、登山を始めた5合目よりもずっと高いところにいることを実感する。振り返ったり、空を見上げたりすると、相変わらず多数の星が輝いている。また、眼下の夜景に目をやると、なぜか少し陽炎のようにゆらゆらと揺らめいて見える。

これは一体なぜなのだろうか。気温差からくるものなのか、はたまた、私の脳が酸素不足すぎて謎の幻想が見えてしまっているだけなのか、それだけはわからなかった。

その後もひたすら黙々と歩み続けて、ついに9合目あたりの山頂前最後の山小屋に到達した。時刻は朝の4:00。ここからはいよいよ、山頂に向けてのラストスパートだ。まだまだ暗い環境の中で態勢を立て直し、意気込む一行。

ここまできてついに、私の体調も少しずつ上向いてきていることを実感した。しかしそれは、さすがに頭痛薬が効き始めたからなのか、酸素不足の環境下に自分の体が慣れてきたからなのか、はたまたクライマーズハイ的な何かによるものなのか、私にもわからなかった。

ここまでくる間にも周りには実は大勢の登山客がいて、9合目以降は再び行列の中を歩くことになった。

登山客の中には、首から下げたスピーカーから音楽を流しながら登っている一行もいた。我々の行動中には全く気付かなかったのだが、休憩中の我々を彼らが追い越すときにそれに気づいた。

それは、ここは開放空間だから、その一行の中心にいる人間がスピーカーを持つことで、ちょうどその一行にしか聞こえないくらいの音量で音楽を楽しみながら行動することができるからだったようだ。

その頃には鼻歌を歌う余裕すら生まれてきていた私は、彼らに対抗するかのような気持ちで、自分の脳内に音楽を流し、口ずさみながら登っていった。

(続く)

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