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批判をも受け入れるスタンスが人生を前に進めるのです。

自分が今何も行動ができていないのはなぜかと考えたとき、もしかしたら何かに怯えているのかもしれない、と思った。

何かにビクビクしている気がするのはなぜだろうか?

多分、その行動を起こしたり発言したりしたときに、誰かに批判されたり、非難されたり、嫌われたり、誰もついてこなかったりするかもしれないからではないか、と思う。

確かに、何か発言したり行動したりすれば、その発言や行動に共感できない人間からは必ず批判的な意見が飛んできたり、何も言わないにしても避けられたりする可能性もあるにはある。

しかし逆に、それが真実だとするならば、いかなる発言や行動にもそうしたネガティブな反応がつきものなのであり、それを受け入れることさえできれば、自分自身を強く持って生きていけるのである。

この批判を受け入れる気持ちこそが、「嫌われる勇気」の正体である。

これを受け入れるために必要なスタンスについてもう少し考えを進めると、大きく分けて2種類あると思う。

1つは、「批判されたとしても自分がやりたいことを選んで取り組む」というスタンスだ。

例えば、「海賊王に、俺はなる!」という夢や目標は、必ずどこかかから批判や心配の声が聞こえてきそうなものだ。しかし、本当に自分がそれを望んでいたり、そうありたいと思っていたり、それをやってみなければ死んでも死にきれないと思っていたりするのであったら、それに取り組むことは一定程度正当化されると思う。

なぜなら、その人間が、そう思ってしまったからだ。それをやりたいと思うような人間として生まれ育ってしまったからだ。周りの人の願いを侵害しない限り、それは尊重されるべきものである。

もう1つは、「批判する人には必要以上に目を向けずに、自分がやりたいことを良いと思って応援してくれる人たちと共に前に進む」というスタンスだ。

批判を真に受け続けると、自己肯定感がグッと下がってしまう。

しかし、本来は自己否定は望ましいことではない、ということを以前にも書いたことがある。

その理由は、自分を否定することは、自分を承認してくれた人たちのことをも否定することになってしまうからだ。自分を承認してくれる人の声をもっと聴いてみれば、自己肯定感の旗を下ろさずに済むのだ。

何らかの発言や行動に対する怯えは、確かにあり得るものだが、それを「あり得るもの」として認めて受け入れることができれば、必要以上に臆することなく、自分の人生を前に進めていけるものなのである。

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