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1/22土:自己分析には両親を不快に感じたエピソードを。

今日は一日改めて自己分析をしてみた。最近買った心理学の新しい本を参考にして、自分自身の幼少期に両親からどのような意識的・無意識的な刷り込みがあったのかを明らかにすることを試みた。

分析にあたって、自分が6歳になるまでの時期において、両親に対して不快に感じた出来事を思い出す必要があった。しかし、改めてよく深く考えてみても、自分が不快に思ったという記憶はほとんど無かった。ありがたいことに、幸せな家庭だったのだろう。

それでも、強いて言えば、という風に考えてみると、いくつか思い当たるものがあった。

それは、今現在はそこまであからさまにではないが、当時は母親が父親の機嫌を損ねないように色々気を遣っていたのではないか、ということである。

父親が仕事から帰ってきて、ガチャガチャと鍵を開ける音がすると、父親の座る場所を開けるようにと母親に牽制され、子どもたち(私には3つ上の姉がいる)は少し場所を追われた。そのことが、父親の機嫌を損ねてはいけないという感覚を生んだ可能性がある。

また、父親の機嫌という観点で言えば、もう一つ出来事がある。

私が小学1年生のとき、当時の最新ゲーム機であるゲームボーイが大流行し、我が家にも1台やってきた。姉と取り合いをしながらもポケモンのピカチュウ版(懐かしい!)を楽しんでいた私は、日曜の昼食前、食卓に食事がすでに並んでいるにもかかわらず、母親の注意をよそにそのままゲームを続けていた。すると、普段は温厚な父親が突然、私の持っているゲームボーイを奪い取って、そのままゴミ箱の中に向かって叩きつけたのである。幼いながらに私はその出来事に衝撃を受けた。

確かに、注意されてもゲームをやめなかった私が悪いのであるが、冷静に振り返ると、そこまで大げさにやる必要があったのか、とも思う。私はゲームへの依存についてそれ以外には全く覚えが無いのだが、恐らくそれまでにも何回かの蓄積があったのだろう。父親は普段は温厚で優しいのだが、急に不機嫌な状態であることが度々あり、子どもだった私はその原因がわからず、戸惑うことがあった記憶がある。

さらに言えば、母親の機嫌と言う観点からも出来事を思い出した。

私が確か3歳くらい、幼稚園にも通っていない頃、なぜかはわからないが、何か悪いことをして母親に叱られ、玄関の外に閉め出されたことがあった。外でワンワン泣いていたかどうか、という記憶は実感としてはないが、その事実だけは覚えている。そのことが、母親の機嫌を損ねるとこういう仕打ちにあう、という感覚を生んだ可能性がある。

これらの両親とのエピソードを改めて思い出してみたのだが、自分としてはそこまで大きな出来事だとは思っていなかった。しかしその本によると、どうやらこれらに代表される両親からの意識的・無意識的な刷り込み(特に6歳になるまで)が、今の自分自身の信念の一つを形成しているらしいのである。

上記のことから考えるに、私の信念は、
「私は人を不機嫌にさせてはいけない」
「私は人の期待に応えなければいけない」
というものだった。

確かにこの信念は今の私を形成する大きな要素になっていると感じる。

他人との軋轢をあまり生みたくないし、不機嫌な人が自分の近くに存在する状態すらも比較的苦手であるから、人間関係においては基本的に調和を重んじるタイプである。しかし、それによって自己主張が足りないと言われたり、自己主張の必要性はわかるがうまくできなかったり、自分自身の感情に基づいて他人に何かを要求することができない、ということが起こる。

また、人にがっかりされることも苦手であるから、期待に応えるための努力は惜しまず、責任感は強いタイプである。しかし、その期待を勝手に背負いすぎて、自分の首を絞めてしまっている感覚もどこかにあると感じる。

私がこのような人間に育ったことについて、私の両親には何の責任もない。それは、教育という営み自体が完璧を追求するものではないし、どんな育て方をしたとしても、その育て方には必ず良い面と悪い面の二面性があるはずだからである。

だから、自分の良くない側面を生み出すこれらの信念にうまく向き合い解決することは、自分自身の責任において行わなければならないのである(ここで責任感の強さが出ているだろうか?)。

これらの信念の存在をまずはきちんと認識し、自分の良くない側面が出現すること、それに反応する典型的な防衛戦略が存在することを認識することで、解決の糸口が見つかるのだろう。

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