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薬草は ゆっくり眠りへ 我らを誘って




薬草が湯でグツグツと煮出されている。その蒸気は高さ3mほどの樽の中へ流れこみ、やがて樽の中は、香り高い薬草の蒸気で満たされてゆく。

僕はその樽のなかで目をつむり、蒸気の音や、薬草の香りや、体を滴ってゆく汗の感覚を感じる。樽の外で微かに流れるアイリッシュミュージックに耳を澄ます。


数分もすれば汗が落ちる音が滝のようになって、熱くて暑くて耐えられなくなる。樽の小さな戸を開け、ジャングルジムから出るみたいに、樽の小さな出口から外に這い出る。

汗だくのまま椅子に座り、樽を見上げて深呼吸をする。からだから蒸気がたちのぼり、ひんやりした冬の空気が体を包む。その冷たさが、肌に心地よい。ぼーっとしていると、女湯の方から、シモーヌ、なんてね姉妹の声が聞こえてくる。

「よし、じゃあ、入るよ?いい?」
「うん、暗いから、足元気を付けて」

樽のなかには照明はなく、蒸気の流出を防ぐために樽の入り口をすぐ閉めるのがマナー。入り口は1メートルほどの正方形で、床から1メートルほど上にある。初めて入る人々にとっては、不思議な蒸し風呂なのである。

樽→椅子休憩→樽→椅子休憩→樽

というサイクルを繰り返し、樽に3回入ったあとは服を着て和室へ移動し、畳にごろりと横になる。

木の枕、畳、木目の天井、アイリッシュミュージック。

真冬でも、体はぽくぽくと暖まっていて、誰もいない森の美しい澄んだ池に小石を投げるように、意識が飛んで眠りに落ちる。数十分で意識が戻り、服を脱ぎ、また樽に入り込む。

これを繰り返すと、新しく生まれ変わったかのような心持ちになる。蝉が羽化して飛び立つときは、あんな気持ちなのかもしれない。




シモーヌなんてね姉妹滞在記 2日目夕方の部。

3人で、薬草蒸し風呂の湯治場へ来た。
70年以上も歴史が続く場所。親子三代で来るお客さんもいる、由緒ある湯治場。



昼過ぎに予約の電話を入れる。

「あ、どうも、お久しぶりです、あんこです。予約なんですけど、今日、3人いけますか?」

「お電話ありがとうございます。あら!!あんこさん!?あら!!どうもお久しぶりです!はい!大丈夫ですよ!お待ちしてますね!」


70年前に薬草蒸し風呂の療養所を創業したおじいさんのお孫さんが、今は療養所を切り盛りされている。おじいさんが調合した薬草に、ご自分が育てたハーブを混ぜて、日替わりで違う香りの薬草風呂を提供している。同じものを受け継ぐだけではなく、季節や時代や来た人に合わせ、日に日に進化し、変化してゆく蒸し風呂。


「あらいらっしゃいませ!」

「どうもお久しぶりです!」

「お友だちまでお連れいただいてありがとうございますほんとにもぅ、で、あんこさん、今日のお昼頃、くしゃみしませんでした?」

「え?わかんないですけど…え?なんでですか?」

「いや、わたしね、今日のお昼頃、あんこさんのこと、独り言で言ってたんですよ、最近あんこさん来てないけど、お元気にされてるかなぁ、って。だからさっき電話がきて、とっても驚いたんです!さあさあ、寒かったでしょ、さ、じゃあお友だちお二人には、私が入り方お教えしますね、それではあんこさん、ごゆっくり」


なんてねさんはサウナが苦手。シモーヌさんは密閉空間が苦手。そしてなんてねさんは、景色の佳い露天風呂が好き。

密閉された薬草蒸し風呂よりも、山の頂上にある露天風呂の方がいいかなぁ、と昼頃に思って、おふたりに、やんわりと探りをいれた。「薬草の風呂、どうします?」と。するとなんてねさんが、せっかくだからやっぱり入ってみたい、と即答されたので、今回このお風呂に決まった訳ですね。

その会話がちょうど12時半ごろ。
湯治場の女将が僕の噂をしたのも、それぐらいの時間だろうなぁ、と、私はそう思いました。

さて、女湯では姉妹が蒸されています。私も蒸されています。そんな感じで薬草に蒸されて、何度目かの時。
樽のなかに、嗅いだことのある香りが漂ってきました。
あれ、これは、なんの香りなんだろう、、、

ん……紫蘇?かな?紫蘇?
あれ?でもいつも、紫蘇なんて入れてないから、気のせいかなぁ…


閉店前のお時間。
姉妹を待つ間、女将さんとお話する。

「今日は、いつもの薬草以外に、ハーブ入れてましたか?」

「はい。日替わりというか、最近はいつも違うものをいれてるので、なに入れたと思います?」

「紫蘇ですか?」

「え……」

「え?」

「あんこさん…すごいですね。ユーカリと、紫蘇いれてました…。なかなか入れてるものを当てる方はいないんですよ、すごいですね」

「え?そうなんですか!へぇ、いや、ぼく小さい頃から紫蘇が大好きなんです。紫蘇ドレッシング浴びてもいいくらい好きなんですよ」

とかなんとか言って女将さんと話をする。

閉店の時間ぎりぎりまで居座らせてもらって、姉妹を待つ。
けれども待てども待てども姉妹が現れない。

「あれ…ふたり、お風呂出てましたよね?」

「はい、出てたはずですけど…どうしたんですかね…」

畳の部屋は、男性と女性で分かれているから、ここ数時間は姉妹と会っていない。女将さんが、女性用の畳の部屋をノックして戸を開けながら声をかける。お客は姉妹ふたりだから、女将さんのうしろから、ぼくもふたりに声をかける。

……すると、畳の上に仰向けで、土偶のように横たわっている姉妹が見えた。

もののみごとに、姉妹揃ってすこおおおおおおおおおおおんと、意識が落ちておったようです。ここのお風呂には、意識を強制終了させる力が備わっておるのです。


にこやかに女将さんに見送られ、僕らは車に乗り、帰路につくのでございました。

からだからはまだほんのりと、薬草の香りが漂っております。

リラックスして、黙って車を運転します。
姉妹が帰るまで、あと数時間。
寂しい。



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