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何か起こった時に私を助けるのは・・・今の自分かも     ~運を半分こ~

しゃぶしゃぶぽわわ..:*。b..:*。u..:*。bb..:*。le..:*。

毎日洗い物をするように

日常になったら良いことを

考えてみたい。


節約しながらだけれども
いちおう不自由なく
ご飯を食べれている 私の目の前に
1日 食べていない人が現れたら
どうするかな。


わからない。その時にならないと・・・

そう

見えないからわからないよ。


まずは

そのような人が見える生活になって欲しい。

困っている人が
身近にいるってことがわかる状態。

そして

誰かが何かを出来る毎日が

繰り返されて欲しい。





ありがちかもしれないけれど

こう考えるのはどうでしょうか

例えばもしも今日

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これから
隕石のような物が落ちてきて
家がなくなってしまったら

そのきっかけで怪我をして
仕事がなくなり
貯金が数万円しかなかったら。

この例えは
以前だったら
笑われたかもしれない。

けれど今なら
何かが起こらないなんて

言えないとわかった

私たち。


もしもは

あり得ると。


そうなったら 

昨日と今日は

全然違う。


目の前で私達は

地震によって急に生活が変わる事を何度も体験している。

原発の恐ろしさも味わっている。

豪雨による災害は、身近になった。

それにこのパンデミック。

私達は数年前よりもずっと

明日はあるか分からないことを 知っている。


以前よりもずっと 想像できるようになった。


今日から食べ物がなくなったら

どこに行きますか?

誰を頼りますか?

防災訓練の中に

食べ物についての行動も 入れておこうと想います。


まずは自身の身を守ります。

命は助かった。

水も食料も数日分は用意してある。


その後は?

それが一瞬で収まったとして

逃げ終えた後の自分を想像してみます。

その時にならないと想像できないよ。。。

。。。ううん 頑張って してみます。



スーパーに長蛇の列を作って食品を求めるでしょう。

保存の利かない食料はどうしたって買い置きは出来ないし
その時の流通の皆さまに助けて頂くしかありません。

そんなときに

自分は買い占めるだろうか。我先にと商品に辿り着き、後ろにたくさん並んでいるのに、必要以上にパンをたくさん買い込まないだろうか。

目を閉じて想像してみます。

お隣にも後ろにも

自分の手を見つめる人達がいる。


さらには それがきっかけで現金収入が絶たれたら?

もっと言うならば 現金が通用しない世の中になったら?


余った物を日常的に循環させる場所があって、利用の仕方を分かっていれば、そんなに慌てなくても済むかもしれない。

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災害にあった瞬間は被災者。

けれど自分の身の安全がわかり
体に負傷を負っていなければ
その時点から助ける側に回れる。

元気な体があるのに
何も出来ずに待つだけでは
悲しいではないか。

お隣の
怪我をして歩けない人や
病気で動けない人の手助けを
したいじゃないか。


ただ待つだけの立場にならない


もしも体に余裕があって
何かしらのルートを知っていれば
誰かが食品を配ってくれるのを待たずに
自分も主体的に関われる。


だから

自分の事として動くのは

その時が来たらじゃない


今なんだ



余った物 利用されていない物を 誰に使ってもらうか。

どこで必要とされるかを 考えておく。

そう。

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自身に何か起こった時に
助けるのは
今の自分



世の中は毎日忙しい。

だから協力出来ないよ。

昔の私はそう思っていました。


けれど今は違う。

忙しくても出来ることがあるってわかったから。

お伝えしたいです。

大きな事をする必要はありません。

それは

日頃から

助け合いに慣れること


それだけです。

今 目の前に困った方がいても
ごはんを分けてあげることは難しい。

なぜなら

実際に困っている人は誰か

わからないから。

そうですよね。

道ですれ違った人が
家に帰って食べ物が1つも無いなんて 分からないです。

家のない方が高架下で雨をしのいでいても
それは その人の生活だから
困っているわけではないだろうと
声をかける事はしないでしょう。

もしも 自分が困ったとしても
「僕は困っています。食べ物を下さい」と言うことは
きっと出来ないと思います。
道を歩く時も それと無い顔をして歩くと思います。


☔以前 公園で雨の中 立ち尽くしていた方に パンを渡したことがあります。何度か見かけたことがある方だったので、思い切って行動に移してみたのですが、その方は驚き、慌てて受け取り、足早に去って行きました。

そして二度と
公園に現れませんでした。

もしかしたらその公園は、その人にとって必要な場所だったかもしれないのに、取り上げてしまったみたいで後悔しました。

それからの私は、バイトで会う学生さんに
「ちゃんとご飯を食べている?」と聞くようになりました。
一見違う話のようですが私の中では繋がっています。

もらい慣れていないし
あげることに慣れていない私達


「ちゃんとご飯をたべれている?」
そんなこと聞くの?と思うようなことですが、当たり前だと思っていることをあえて普段から気にしてみる。それが大切なのかなって感じたのです。


私はフードバンクをやっているけれど・・・

まだまだ 認知されていないな💦

お家の近くに ないものね・・・


賞味期限の切れそうな食品が、
掃除や引越しのタイミングで出てきたとき、
無造作にゴミ箱に入れるか

使い道を探すか・・・


貰ってくれる存在を知っていれば?

フードバンクのような場所が
何処にあるか知っていれば・・・

一度でも足を運んでおけば・・・


誰かに何かを渡す行為は

自分の中のブロックを外す練習になっている気がする。

きっと私は 困った状況になったとしても

遠慮や躊躇せずに 助けを求めることが出来ると思う。


今日

私は運良く ご飯を頂けた。

明日はわからない。


明日も食べられるならば

その運を 半分こ

誰かとしてみる。



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