シン・教育_241010
『本人の感情と向き合わせた結果として、どうしてもやってしまう行動を肯定し、そのまま突き詰めさせる』
将来、その行動に対して社会が大きな価値を見出し、スポットライトを当てる可能性があるかも知れません。
私個人としては、
厳密には価値が『有る』とか『無い』という判断は存在しないと考えます。
時代や人類の進化、科学の発展度合いの都合で、価値が『有る』と錯覚したものにスポットライトを当てているに過ぎない。
問題なのは、全ての事象に対して価値を見出すだけの思考や余裕が不足していることです。
これを、価値が『有る』『無い』と決めつけることで思考は退化します。
既存のスポットライトの当て方に固定してしまうと、様々な事象にスポットライトが当たらなくなってしまう。
そうなると、AIが人間の能力を代替していくにつれて『人の能力にはもう価値がない』という誤解が広がるのではないかと懸念しています。
記号(文字)は感情をカテゴリー化したものに過ぎず、感情そのものではありません。
記号から生まれたAIを過信し、そこにばかり注目してしまうと、かえって人類は退化すると思います。
教育という言葉は無くして、研究に置き換えた方がいいのかも
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