パワハラ死した僕が教師に転生したら 5.お金は汚いという言葉
冬司の渾身のビンタにより社会の2回目の授業が中断している教室。
目を閉じて仰向けに倒れている教師と、それを取り囲む生徒達。
教師の2回目の社会の授業の続き。
「だ、駄目だって冬司、この人、体弱そうなんだから。頭、黒板でぶったし・・・・・あれ、もしかして、この人・・・・・し、死んでない?」と優太が不安そうな表情で言う。
「・・・・・え?殺っちゃった?・・・・・っていうか、ビンタで人、殺れるの?」と呆気にとられた顔で言い、不揃いな短い髪をかく冬司。
「でも、あんなひどいこと言う先生、死んでもしょうがないかと・・・・・なんであんなことを、あんな言い方で言わなきゃいけないのかと・・・・・」と少し震えた声で言い、薄い色の唇を噛みしめる文香。
「大丈夫ってー、どうせまたすぐ転生してくるってー」と大きな瞳を輝かせ、楽しそうに言う愛鐘。
「いや、残念だが生きてる。胸見ろ、呼吸してる」と残念そうに言う颯太。
「・・・・・コレ、気絶ってヤツ?」と優太が言う。
「でも、冬司君、あんなひどいこと言われて、本当にさぁ・・・・・みんなそれぞれ家庭の事情があるんだし、それはみんなの前で言うべきことじゃないんだし、それをこの人は・・・・・冬司君は何も変なこと言ってないのにさぁ・・・・・」と文香が冬司を見つめて言う。
「え?・・・・・ああ・・・・・いや、金がねえのは見てりゃわかるだろ、別に問題ない」と冬司が文香に向かって照れたような顔つきで言う。
「でも、この人、どうしようか?・・・・・他の先生呼んできた方がいいのかな?」と訊く文香。
「鳥居、起こせ」と颯太が教師を指さし、低い声で言う。
「・・・・・なんで俺にご命令?・・・・・あ、そういうこと!」と答え、息を深く吸い込み、教師の耳元で「パラノ野郎!起きろぉ!起きろぉぉぉぉぉぉ!」と怒号を上げる鳥居。
ピクリともしない教師。
「・・・・・ま、俺がやったことだから、俺が処理しとくわ。あ、優太、さっきはごめん」と言い、教室を出ていく冬司。
「脳の血管がどうかしたかもな」と颯太が淡々と言う。
「うー、この人、どうなっちゃう?・・・・・ひどい人だけどさ」と優太が言う。
颯太が長い前髪に手をあてて、「さあな」と言う。
横たわる教師の周りに立って、教師を見下ろす生徒達・・・・・。
冬司がバケツに水を汲んで戻って来た。
「みんな、ちょっと離れて」と言い、バケツを両腕で高く持ち上げ、「クソ野郎、くらえ」と言いながら水を教師にぶっかける冬司。
バケツ一杯の水が2メートルの高さから教師の青白い顔面に向かって落下し、炸裂する音。
バッシャーン。
その瞬間、「うああああああああーっ」という教師の絶叫が生徒達の耳を切り裂き、その鼓膜を突き抜け、教室に響き渡っていく。
教師の恐ろしく開ききったまぶたと瞳孔、その怯えた目が宙のどこか一点を凝視したまま、微動だにせず凝固している。
口元は開いたままで、そこからのたうち回るようにあえぎ続ける呼吸の音が流れ出ている。
仰向けに横たわったまま投げ出された肢体は不自然にこわばり、ひどく凍えているかのように小刻みに激しく、ガタガタと震えて続けている。
教室に突如現れたあまりに異常な光景に、言葉を失う生徒達。
「ハア、ハア、ハア、今のは・・・・・あの古いビル・・・・・あの道路・・・・・落ちていくのは・・・・・僕・・・・・迫り来るのは・・・・・」と教師が尋常でなく震えた声でつぶやく。
「これは・・・・・前世の・・・・・最期の・・・・・記憶・・・・・うああああああああーっ」と再び叫び声をあげ、仰向けのまま口に手を当て、震え続ける教師。
のたうち回るような教師の呼吸の音。
「コイツ、マジか?・・・・・ス、スゲェ・・・・・俺、ゾクゾクしてきた」と冬司が口に手を当てて言う。
「・・・・・こ、この人、もしかして・・・・・本当に前世の記憶がある?・・・・・本物の・・・・・転生者?」と優太が言う。
「いや、本物のパラノイアだろ」と颯太が淡々と言う。
「ハア、ハア、ハア・・・・・ここは・・・・・教室?・・・・・君達は・・・・・生徒?・・・・・僕は?」と仰向けのまま周囲を見渡す教師。
「・・・・・そうだ、僕は・・・・・教師・・・・・僕は・・・・・教師、です」と言いながらゆっくりと立ち上がり、教卓の上に震える手のひらを置く。
呆気にとられていた生徒たちも、それぞれの席に戻る。
シャツとネクタイとベストを几帳面に整えながら、乱れ高ぶった呼吸を落ち着かせようと何度も深呼吸する教師。
大きく腫れた左の頬に濡れた白髪が張り付いた、水浸しの無様な教師が授業を再開する。
「ハアハア・・・・・続けます。そう、それで問題は、そういう貧困家庭で育った子供達のマインド、お金を汚いといって、お金を避けようとする、このマインドなのです。そういう家庭で育った子供は、幼少期からずっと、何回も何回も、このお金は汚いという言葉を繰り返す。最初は、近くにいる大人が、貧しいこと、お金がないことをその子供に受け入れさせるために、お金は汚いという言葉を与える。あるいはそれは、その子の親かもしれない。多くの大人は、そして教師も、この子供がお金は汚いと言うとき、心がきれいだとか、世の中にはお金で買えないものもあるとか訳の分からないことを言いながら褒める。絵本とか昔話にもそういう内容が多い。そしてこの言葉は、その子供にとっても必要なのです。それは、この言葉により現実を見なく済む、この言葉が、貧し過ぎる現実の前で壊れそうな自分の心を守る盾となってくれるからです。それで、その子供はこの言葉をずっと、ずっと、何百回も繰り返し育っていくのです」
乱れた呼吸のまま苦しそうに、生徒全員に向かって授業を続ける教師。
冬司は教師を濁った鋭い眼差しで睨み続けている。
「いいですか、みなさん。これから言うことは、とても大事なことです、よく覚えておいてください。人間の物事に対する考え方や価値観、意識のありようや性格は、20歳ぐらいまででほとんどが確立されてしまう。それまでに、何を経験し、それに対してどのように考えたかの積み重ねで、その人がその後一生抱えて行くことになる、その人の人格や心のあり方が固まってしまう。
そして、こういう家庭で育った子供の多くは、その年齢になるまで、お金は汚いと思い続ける。そうすると、このお金は汚いという言葉、お金を避ける傾向は、その子供の中で、思考や意識の中に深い根を張り巡らし、その子供を一生に渡り支配することになる。その子供は、このマインドを一生抱えて生きていくことになる。無意識に行動する時も、お金は汚いという言葉に縛られている。一生の間、お金は汚いと考え、お金を避けるようになる」
落ち着くことがない呼吸に構わず話し続ける教師。
「そうなると何が起こるか・・・・・その子供は、大人になってからずっと、お金を稼げない。いいですか、お金は、まっすぐにお金を欲しいと思わなければ、本当にお金を欲しいと思わなければ、稼げません。これは決まっているのです。欲望に比例してしかお金は稼げない。お金は汚い、お金は要らないと考えている人には、お金は稼げません。
だから、この子供はお金のない大人になってしまう、そして、子供に十分に与えることのできない、子供を愛することができない親になってしまう。2世代続いて、そうなってしまう。全く馬鹿げた話だと思いませんか。全ては、このお金は汚いという言葉が起こした悲劇、全ては、このクソのような言葉のせいなのです」
相変わらず乱れたままの教師の呼吸の音。
「うー・・・・・クソって・・・・・先生が言う言葉?」と優太が小声で訊く。
「いけませんか?」と両方の拳を教卓に思い切り叩きつけ、「事実クソなのだから、クソをクソだと言っていけませんか?」と怒鳴りつける教師。
「・・・・・ちょ、この人・・・・・どうした?」
ハアハアハアハアと肩で息をしながら授業を続ける教師。
「いいですか、それで貧困家庭で育ち、お金は汚いと信じながら育った大人は、自分の子供に、また、そのクソのような言葉を言うのです。何故だと思いますか?それは、結局は、お金を稼げない自分、貧しい哀れな自分を直視するのに耐えられない、現実から逃避したいから、そして、かつての自分と同じく貧しいその子供に、お金がないことを受け入れさせないといけないからです。かつて自分がそうされたように、です。いいですか、こんなクソのような言葉がある限り、貧困は、3代でも4代でも5代でも6代でも永遠に続く。子供達が貧困の連鎖、ループから抜け出す可能性、子供達がそこから這い上がる可能性を叩き潰すのが、このクソのような言葉なのです」
教師が冬司の方を向き、何度も深呼吸をした後、冬司に語りかける。
「・・・・・冬司さん、僕は貧困家庭の生徒はたくさん見てきましたが、あなたの現実がどれだけ過酷かは、僕は知りません。けど、あなたは高校2年、もう大人です。十分に物事が考えられる、社会のことが理解できる年です。だから、お金と向き合い、お金を心の底から本当に欲しいと思い、それを実現する方法を探して下さい。そして、子供に十分に与えられる、子供を愛せる、そして、それによって自分も愛せる親になって下さい。それが、ちゃんと生きる、前を向いて生きるということだと、僕は思います」
「・・・・・もう帰るぞ、クソ野郎」と静かにいう冬司。
「・・・・・好きにしてください」と苦しそうな呼吸のまま答える教師。
ドアを叩きつけるように閉め、教室を出ていく冬司。
何度も深呼吸を繰り返し、しばらく間を置いてから、残った生徒に向かって、話し続ける教師。
「・・・・・みなさんも、色々な人から、お金は汚いと言われているかもしれません。でも、お金があればお金の心配をしなくて済む、心が落ち着きます。お金がなければ、いつもお金のことを考えないといけない、お金がないことに怯え、お金がないことに不安になります。そして、お金を持っている人を妬む、自分にないものを持っている人を憎むのです。その心こそ汚いのです」
教師の呼吸が落ち着きを取り戻しつつある。なおも話し続ける教師。
「それから、もう一つ言っておきます。社会には、『お金は汚い』『金なんてつまらねえこと言うなよ』『金が全部じゃねえだろ』『君は金のために働くのか』と労働者に言う社長や株主がたくさんいます。僕をパワハラ死させた会社の社長もそうです。でも、これは労働者に安い給料を受け入れさせるためにこう言っているだけの、実にクソのような話です。けれど、納得してしまう労働者がたくさんいるのです。それは、その労働者が子供の頃、大人や教師から、お金は汚いと言われ続けてきたからです。
いいですか、こんなクソのような言葉に納得していたら、労働者の給料は果てしなく安くなり、その結果、誰もが貧しくなり、人を愛することができず、怯え、不安で、人をねたむようになる、そんな人間ばかりになる・・・・・そして、それが今の社会なのです・・・・・ハア、ハア、ハア・・・・・今日の授業はもうこれで終わりです」
そう言って、生徒に丁寧にお辞儀をしてから、教室のドアに向かう教師。
廊下にいた冬司がクソ野郎とつぶやいて足早に去っていく。
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