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峯上のスキルの変遷

皆さん、おはようございます。
Gifed Creative、峯上良平です。

今日は私のスキルをどう増やしてきたかについて、お話したいと思います。
自分は強みなんてないよとか、何をしたら良いかわからないという方の参考になれば嬉しいです。

私が高専を卒業した20歳の頃、あったスキルと言えば、ギリギリ赤点じゃないくらいのITの知識と、使い物にならない電気系の知識くらいで、とりあえずまだマシなIT業界にいこうと就職を決めました。なんと安易なことでしょうか笑

この頃のスキルは
【完璧主義、人から良く見られたい、自己犠牲野郎、承認欲求強め】

実家が農業だったため、幼いころから手伝いをしていた私は、こんな田舎嫌だと歌のごとく、都会に憧れ、卒業と同時に夢の一人暮らしと初めて働くということをしていました。

大手に入って良かったことは始めに研修があり、ビジネスマナーやコミュニケーションなど基礎的なものを学べたことでした。

配属されると学生の頃にやっていたやり方では全く歯が立たず、仕事から帰ると辞書のような分厚い専門書の小さな字を読みながら、選択肢を誤ってしまったと気づき、そこからどんどんと自分自身のやり方が合わなくなり、睡眠不足、仕事のミス、納期に囚われて焦る、結果相談出来ずにミスなど、負のループに陥り、最終的に鬱となりました。

鬱期間に失ったスキルは、
【文字を読む能力、味覚、感情、思考力、体力】
得たスキルは
【不安、回避力、やらない言い訳をクリエイティブに発想、白黒思考】
変わらないもの
【完璧主義、人から良く見られたい、自己犠牲野郎、承認欲求強め】

今思えば、本当にダメ人間だったなと思います。

農業がなければ、間違いなく土に還るという選択肢を選んだとしても仕方がなかったと思います。

農業をすることで得たスキルは
【文字を読む能力、味覚、感情、思考力、体力】→健常時まで回復

変わらないスキルは
【不安、回避力、やらない言い訳をクリエイティブに発想、白黒思考、
完璧主義、人から良く見られたい、自己犠牲野郎、承認欲求強め】

次に身体の調子が戻ったおかげで心理学や認知行動療法を学ぶことで

【とりあえずやってみる、どうやったらできるかクリエイティブに考える、白黒ではなく間のちょうど良い決定をする、自分がどうしたいかで行動を決める、自分自身を親友と同じように大事にする】

かなり認知の偏りを修正することが出来るようになりました。

ここから、仕事のスキルを磨くことになります。
この時点であったのは、
【農業スキル(梅限定、並)、時計(趣味レベル)、IT(システム導入コンサル基礎)】
くらいです。
農業での収入→初期は数千円~3万円くらい、ある程度働けるようになっても10~15万、農繁期のみ20数万くらいです。

このままでは結婚や、将来の漠然とした不安が取れない状態です。

さてどうするのか。
始めに思いついたのは、宅建などの資格を取ることでした。
しかし、興味がないことにはなかなか取り組めないADHD特性のある私は、買ったものの積読をしているという呆れた状態。

自分は何が向いているのだろう。
自分自身の親や、祖父母はどんな仕事をしていたのか、振り返ることにしました。
何故かというと、仕事が出来ている親や祖父母の血を引いているので、その能力はあるのではと考えたからです。

母方の祖父は、国鉄で働き、引退後飲食店を経営、株を購入し資産運用(お金に賢い)
祖母は専業主婦の後、飲食店手伝い

父方の祖父は、土木、魚屋、精米、炭焼き、みかん→梅農家(パラレルワーカー)
祖母は土木、農業(コツコツ系)

父は東芝で家電販売、電気工事、農家、水道、屋根→(器用、便利屋的)

どうやら商売が向いていそうだということが分かり、趣味であった腕時計の修理、販売をしようと思いました。

農業で稼いだお金を使い、時計を仕入れ、どんどん直していきました。
どうすれば利益が上がるのか、どのスキルを磨けば、利益に繋がるのかを徹底的に考え、実践しました。
時計の道具も中古で買い、部品も輸入するなど、なるべく安く買っていました。
この時、苦労したこと、大きく失敗したことが今の私にとって大きな財産となっていると思います。
最終的には年商1400万まで行くことができ、これと農業があれば十分生活できるということが分かり、ようやく不安とはおさらばすることになります。

ここでのスキルは
【時計屋(プロ)、農家(並み),車の販売(趣味)】→年収500~700万

そこから数年、友人の死をきっかけに支援の道に入った時、福祉のスキルは

【やる気、鬱から回復した知識、当事者経験】→素人レベル
だけでした。

鬱から回復した時にやったストレングスファインダーの結果から、

【戦略性、着想、収集心、社交性、包含】

があるようなので、戦略の勉強をしました。
また福祉の仕事はどうやら向いていそうだと思ったことを覚えています。

とりあえず、その道の専門家、プロに多動性を活かして会いにいき、

①どの本を読んだら良いのか
②上手くいっているコツ、課題、失敗した話
③どうやって乗り越えたのか

を聞きまくりました。
おかげで地域の課題、福祉の良い所、悪い所、ビジネスとしてどうすれば三方良し(「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」)が出来るのかを考え続けることができるようになりました。

当時の私を知る人からは、あの頃の峯上さんには関わりたくないくらい、あちらこちらに行っており、周りからみて恥ずかしくなるレベル
何をしたいのかわからない、関わらない方がよいと陰口をされる状態でした笑

振り替えると必死だったんだと思います。
友人の死を忘れていく社会や、社会復帰できると思いにくい状態にある福祉をより良くしたい。

すでに取り組んでいる方から見ると、さぞ異質な存在に見えたと思います。
嫌がらせも散々受けました。
今では某二つの団体より就労率は高くなったので、どうでもよくなりました。

誹謗中傷にも負けなかったのは、歪んだ考えではありますが、少なくとも言っている人よりは稼いでるわと言う自尊心と、本気でやっていると分かって下さる目上の方々の応援があったからだと思います。

さて、がむしゃらに走った五年間で私が身につけたスキルは

【シェアハウスの立ち上げスキル(プロ)】
【メンタルヘルス回復支援、就労支援、キャリア支援スキル、障がい者雇用コンサル、講演、経営者伴走→(プロ)】
【自社での仕事作りスキル、不動産の仕入れ、販売→(初級)】

時計屋という基礎を持っているため、車や不動産は応用で身に着けることが出来たので、早めに取得が可能となりました。
最近では不動産の勉強をし、競売にも参加できるように。

支援においても、時計が人になったと考え、どうすれば回復や、認知の偏りを修正できるのかを試したことにより、結果が出るようになったイメージです。
キャリアに関しては自身の経験を元に、まずは一個磨き上げ、その近くの一歩の領域を磨いていくことを勧めています。

経営者の伴走は最近、自分の中ではすごく楽しいもので、これまで当事者の方の伴走をさせて頂いたおかげで、どうすれば経営者の悩みを解決できるかの解をすぐに出せ、試して頂けるので、通常数年かかるような精神障がいになった方でも早い方で半年で回復するなどの成果を出すことが出来ています。

講演も呼んで頂ける機会も増え、数万から10万円程度のお金を頂けるようになりました。

鬱で毎日、死にたい、自分は無価値だと本当に信じて疑わなかった私でもやり方を工夫し、コツコツやっていけば、ジェネラリストになることができています。
それは今、しんどい状態にある皆さんにも、私は出来るんじゃないかと思っています。

【峯上だからできたんでしょと思うかも知れません】

でも、私から見て、皆さんは、私が鬱だった頃より、ずっと体力や、病状の状態が良い方ばかりです。
これまで90人以上関わらせて頂きましたが、私よりもひどい状態だった方を、まだ見たことがありません。

【皆さんの方が、私よりもずっと可能性があります】

その可能性を潰しているのは、皆さんの思考です。
それを外し、一つの成功ができれば、それを積み重ねるだけで、きっとあなたにも、素晴らしいスキルが身につき、それが掛け算となってどんどんとレベルが上がっていく。

階段を上るように、一歩ずつ、そして自分に合った目標を持ち、しんどい時もなにくそと頑張ってみる。
私も、多くの先人や仲間によって育てて頂きました。

良ければその道の伴走を我々にさせて頂けると嬉しいです。

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いつもありがとうございます。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


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