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料理を伝えるには「美味しい」を使わずに表現する。伝えるとは気づきを与えることです。今日の野菜スープは冬瓜、プチトマト、龍神椎茸、地元産のにんじん、キャベツ、玉ねぎが入っています。味付けは塩胡椒だけです。

伝えたいことを言葉に変えて文章にします。それは本当に伝えたと言えるでしょうか?

いいえ、それは文章化しただけのことで伝えたことにはならないのです。
伝えたいことが自分の中では言葉になって文章化されていますが、相手に伝わっているのは文章であって伝えたいことでは無いのです。写真、イラスト、動画、音声、音楽、ダンス、料理など表現するものは沢山あるのです。

伝えたいことが伝わったとは相手に、気づきがあってそれを自分なりに解釈して確認が返ってくることです。

命令や強制などの相手の意思の確認をしない行為でなければ統制が取れないと思っていると本当の信頼を得ることはできません。命令や強制は手順を踏んで信頼を裏切らないことが重要です。

税や社会保険は、強制的に徴収されるものです。支払わなければ罪になりますが、法律に則って手続きをすれば免除される時もあるのです。

公共で集めたお金は、公共のために使うのです。公共のお金が個人的に使われていないか確認する必要があるのです。

お金がなければ不自由です。生活するためにも最低限のお金が必要です。
でも、個人によってその最低限の基準が異なるのです。お金のある人は今の生活が最低限の生活になるのです。お金のない人はもっとない人を基準にするのです。

自分たちのものと思っている団体に新しい人が増えると自分たちのものが奪われてしまうと感じるのです。会社、業界、地縁など様々な団体があります。その中の地縁について述べてみます。地縁とは住んでいる土地の縁です。近所付き合い。学校、PTAに地区の集会、神社の氏子、お寺の檀家など、地縁とはその土地に住んだ子孫が抵抗なく暮らせる縁です。代々その土地に暮らしている人と後から暮らし始めた人ではうまく交流できないのは地縁が浅いからです。

コミュニケーションの場が沢山ある人は、その団体の区別がありません。

地縁を深くしたくても過去の歴史がそうさせないのです。深くさせるには歴史から学ぶのです。

郷土史から学べることが沢山あります。それを途絶えさせてはいけないのですが、地縁の深い人はそのことには気づかないのです。大災害の言い伝え、金銀財宝の話、栄えた頃の話が伝説となって伝わっているのです。

地元には宝神社があります。

宝くじが当たるようにお願いする人が多い神社です。祭礼が11月に行われて神社を守っています。それが郷土愛だと思うのです。

人口が減ってきています。跡を継ぐ人が減っているのです。

移住者に郷土愛を持ってもらうにはコミュニケーションの場を多く持つしかないと思うのです。そして気づいてくれるのを待ちましょう。

#エッセイ #パンダのポッさん #一万個の幸せ