わからないことを奇跡だと片付けると楽だよね。上手くいかないことを運命だと片付けるのと同じことです。今日の写真はスイーツパン。
わからないことを奇跡だと片付けると、それ以上考えなくて済むので楽です。上手くいかないことを運命と片付けるのも同じで、自分の努力や行動が原因だとは考えずに、運任せにしてしまうことができます。
しかし、一方で、わからないことを奇跡だと片付けてしまうと、そこから学ぶことができません。上手くいかないことを運命と片付けてしまうと、同じ失敗を繰り返す可能性があります。
わからないことを奇跡だと片付けるのではなく、その原因を探って理解しようとすることで、より深い学びを得ることができます。上手くいかないことを運命と片付けるのではなく、自分の努力や行動を振り返ることで、同じ失敗を繰り返すことを防ぐことができます。
もちろん、すべてのわからないことを理解できるわけではありません。また、すべての失敗を自分の努力や行動で解決できるわけではありません。しかし、わからないことを奇跡だと片付けたり、上手くいかないことを運命だと片付けたりするのではなく、少しでも理解しようとしたり、自分の努力や行動を見直したりすることで、より豊かで充実した人生を送ることができるのではないでしょうか。
以下に、わからないことを奇跡だと片付けない、上手くいかないことを運命と片付けないための具体的な方法をいくつか挙げます。
わからないことをそのままにせず、調べたり、人に聞いたりして理解しようとする。
上手くいかなかった原因を分析し、改善策を検討する。
失敗を糧にして、次に活かす。
これらの方法を参考にして、わからないことを奇跡だと片付けたり、上手くいかないことを運命と片付けたりせず、より深い学びを得て、より豊かで充実した人生を送っていただければと思います。
なぜ、わたしが次から次へと記事を投稿できるのでしょうか?
それは奇跡です。そして運命です。と片付けられたら疑問が解決できずにモヤモヤしませんか?
それでは回答になるかならないかわかりませんが、お答えします。
記事の内容に制約をかけているのです。なんでも書けば良いとしていません。
・家族のことは書かない
・悪口、批判は書かない
・噂話、情報源がわからないことは書かない
・哲学ぽくを優しく書く
・自問自答して得た回答を書く
自問自答をいつもしているのでネタに困ることがありません。
なぜなら自問自答するために情報収集を行って、インターネットや書物、実体験を知識としてため込んでいるからです。
疑問に思うことばかりで、人生の問いに答えは無いと言っても答えを出さなければ前に進めないのです。
noteで記事にして吐き出しておかなければ記憶から消えてしまってその問いに同じ自問自答を繰り返してしまうのです。
いずれわたしはこの世から消えてしまいますが、記録が残り、誰かの記憶に残り、語り継がれて行くこともあるでしょう。